こどもの頃、私は小さな町に住んでいると思っていた。

買物は近所で済ませられるし、学校までは遠かったが友達の家には簡単に行き来出来る。

 

 

街を歩けば知っている人に声を掛けられないことの方が少ない。

 

 

しかし高学年生になり、それは自分の行動範囲が狭かっただけと気づくことになった。

ほんの少し足を延ばすだけで、それまで見たこともなかった世界に出会えると知った。

例えばそれは大きなオフィスビルだったり、

入口におしゃれな装飾が施されたレストランだったりした。

何を扱っているのか分からないお店もあった。

 

 

 

意外な場所に神社があることを知ったのも、高学年になってからだ。

学校の帰り道にほんの気まぐれでいつもと違う通り道を選んだ。

通学路から1本中へ入っただけなのに、そこは閑散としていてまるで時間が止まっているようだった。

古い民家が並び、小さな商店が点在していた。

しかしそれらの店の殆どはシャッターが閉まっていた。

 

 

その隙間を埋めるように、その神社はあった。

 

 

石段を上ると賽銭箱と太い縄がある。

縄を振ると、頭上で鈴がらんらんと音を立てた。

 

 

 

「お菓子がたくさん食べられますように」

 

小さな声で願いを唱えた。

私は三人妹弟で、自分は長女だったため1袋のお菓子を3人で分けないといけなかった。

ましてや3つ年下の弟がもっと食べたいと泣こうものなら、お姉ちゃんである故、譲らざるをえなかった。

自宅には置きおやつなどなく、常にお腹が空いていた。

 

 

ただこれだけだったなら、私が再度ここに足を運ぶことなどなかっただろう。

しかし神社を出ようとくるりと方向を変えると、それは神社の石の上にいた。

近寄ると逃げるだろうか。

それに近づくと、

案外逃げずに細い目をしながらこちらを見ている。

 

 

 

くぅ~・・・

 

 

ニャ~でもなく、ミュ~でもなく、クゥ~と鳴いた。

 

 

「食べれるもん、くれ」

 

 

と聞こえた気がした。

ふと、ランドセルの中に給食のパンがあることに気付き、

小さく千切ったパンを口の前まで持って行くと、プイっとした。

 

 

「なんだよそれ。もっとマシなものないのかよ」

 

 

と表情がそう言っているように見えた。

 

 

「ごめん、明日はもっとマシなもの持ってくるから」

 

 

というと猫は鼻をピクつかせた。

「期待してるからな」

そう言っているようだった。

翌日の放課後、自宅の冷蔵庫を覗き、猫の好きそうなものはなんだろう。と探った。

 

 

 

生卵、梅干、・・・こんなものさすがに食べるわけないだろうと思っているとふとチーズかまぼこが目についた。

一本抜いて、ポケットに忍ばせた。

横にあったマシュマロも、ついでにポケットに忍ばせた。

これは、単に私が食べたかったからだ。

 

 

 

神社に着くと昨日の場所に猫はいなかった。

仕方なく、鈴をがらんがらんと鳴らしてから階段を下りていると、木の茂みの陰から猫がのっそりと現れ、じろりとこちらを見る。

「またおまえか。」

と言われているようだった。

 

 

私はしゃがみこみ、ポケットからチーズかまぼこを出し、小さく千切って猫の前に差し出した。

食べないので目の前に置くと猫は用心深そうに匂いを嗅いだ後、ぺろぺろと舐めた。

だが口には入れようとしない。

 

 

「どうして食べないの?」

 

 

聞いても無反応だ。

傍の石段に腰を下ろし、私はポケットのマシュマロを口に放り込んでボーっとした。

夕焼け空が綺麗だった。

 

 

ジーンズの膝に何かが触れる感触があり、ぎくりとした。

見るといつの間にか猫が近づいて来ていて私の膝に前足を置いているのだった。

身体と首をいっぱいまで伸ばし、マシュマロのビニールに鼻をくっつけようとしている。

 

 

「え、これ?」

 

 

袋からマシュマロを出し、猫の鼻先に近づけた。

すると猫はぺろりと舐めた後、躊躇いなくパクリとかじった。

もぐもぐと咀嚼したあと二口目に入った。

マシュマロは全て猫の胃の中に消えた。

だが猫は満足していないのか、私は二つ目のマシュマロを差し出した。

今度はあっという間に食べてしまった。

 

 

満足したのか、猫は私の膝の上でそのまま丸くなってしまった。

起きる様子もない。

まるで、「撫でろ」と言わんばかりに。

 

 

猫の体を撫でると、ぐるぐると喉を鳴らす音が聞こえた。

そうしていると、私の心も安らいだ。

その日から、学校帰りに神社に寄るのが日課になっていた。

 

 

私は猫に、“柴(しば)”という名前をつけた。

柴犬にそっくりな色だったからだ。

柴には首輪もつけることにした。野良猫のままでは、保健所に連れて行かれる気がしたからだ。

 

 

 

自宅に余ったピンクの革製の細いバッグの紐みたいなものを、首に巻いてやった。

柴の薄茶色の毛色にピンクの首輪がよく似合った。

それから私は柴と色々な話をした。声に出して言うのではなく、体を撫でてやりながら心の中で話しかけるのだ。

不思議なことに、柴の返す言葉が聞こえてくるような気がする。

 

 

そいつはなかなかいい夢だね。

 

 

私にとって柴との時間は何にも代えがたい貴重なものになっていった。

ところが、その柴がある日突然いなくなった。

いつものように放課後に神社に行っても柴がいない。縄を振って鈴を鳴らした。

それを合図にのっそり現れていた柴はとうとう姿を見せなかった。

 

 

次の日も、その次の日も柴に会えなかった。

神社には小さな社務所がついていて、人がいたりいなかったりした。

そこにいる大人とは言葉を交わしたことがなかったが、思い切って聞いてみた。

相手は白髪交じりのおじさんだった。

 

 

 

「あぁそういえば最近見んね」

 

 

 

おじさんは柴の存在は認識していたようだった。

 

 

 

「どこへ行ったか知りませんか」

 

 

私の問いかけにおじさんは少し困った顔をした。

 

 

「さぁねぇ野良猫じゃけぇどこかほかのところへ根城を移したんじゃないか」

 

 

 

そんなはずない。

柴が勝手にどこかに行くはずはない。私に無断で。

そう思ったがその後も柴を見ることはなかった。

次第に私の足も神社から遠退いた。

 

 

 

そんな風にして二週間くらいが過ぎた頃、

学校からの帰り道、道路沿いの歩道を歩いていた私の目に見覚えのあるものが飛び込んで来た。

ピンクの首輪が、ガードレールの支柱にくくりつけられているのだ。

 

 

駆け寄り確かめてみたら間違いなかった。

柴につけた首輪だ。

どういうこと?どういうこと?

混乱する頭で何が起きたのか考えてみた。すぐには答えはみつからなかったが、それを受け入れることを頭が拒否していた。

首輪がくくりつけられているガードレールの下には、花が置かれていた。