おかげさまで、三島由紀夫の『豊饒の海』(1969年~1971年)についての本を書き終えました。

 

『豊饒の海』4巻のうち、第3巻の『暁の寺』を脱稿したとき、三島は、「それまで浮遊していた二種の現実は確定せられ、一つの作品世界が完結し閉じられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になった」(『小説とは何か』(1968年~1970年)、『小説読本』(新潮文庫、2016年)97頁)と述べています。

 

この気持ちよくわかります。三島と自分を並べるのもおこがましいですが、私も久しぶりに現実世界に戻ってきて、現実世界が現実として感じられないのです。今まで共に過ごしていた三島由紀夫の世界が完結してしまって、自分が虚空にいる感じがするのです。いわゆる燃え尽き症候群なのかもしれません。

 

(以下で書くこと、いつもよりかなり長いのですが、大学生の皆さんの授業や卒論での参考にしていただければ幸いです。このテーマを扱う三島批評はあまりないのですよ。引用するときは、引用元明記してくださいね。)

 

「二種の現実」というのは「言葉の世界」と「現実世界」のことです。『太陽と鉄』(1968年)では、「文」と「武」の二項対立関係として繰り広げられている議論です。そこで三島は次のようにいっています。

 

「「文」が自らを実体とし、「武」を虚妄と考えるときに、自らの最終的な仮構世界の絶頂に、ふたたびその虚妄を夢み、自分の死がもはや虚妄に支えられていないことに、自分の仕事の実体のあとには、すぐ実体としての死が接していることに気づかねばならなかった」(『太陽と鉄』中公文庫(中央公論新社、2003年)57頁)。

 

三島は幼少時代、ほとんどの時間を祖母の病室で過ごしていましたから、外で遊ばなかったんですね。本を読んで空想をふくらませ、早い頃から詩や小説を書いていました。そのことを、三島自身は、「白蟻」が先に来て、そのあとに遅ればせながら「半ば蝕まれた白木の柱」(『太陽と鉄』11頁)がやって来たと表現しています。

 

そんな三島にとって、「言葉の世界」と、のちに手に入れた「肉体」とは画然と分れたものだったのです。現実とは、言葉を通じて表象されるべきもので、現実そのものとして実感できなかったのです。

 

上記の「文と武」に関する記述ですが、こんな意味でしょう。フィクションの世界を完成させる、現実に戻る、でも現実はすでに言葉によって浸食されている、自分の思念によって構築されたものが現実であるから、現実そのものとしては存在していない。

 

小説を書いているとき、仮構世界と現実世界とは適度な緊張を保っていて心地よいわけです。仮構世界が完成すると、一気にその世界がなくなる、そのとき、普通は、仕事を忘れて現実世界に大いに遊ぶでしょうが、実は案外そういうものでもないのです。あまりにも仮構世界のなかに沈潜していたために、何が何だかわからない、といった心境になるのです。

 

「仮構世界」というとフィクションの世界と同一だと思われるかもしれません。自分は文学やらないから、関係ないと思われるかもしれません。あるとき友人とこのことを話したのですが、その友人は文学読まないから、フィクションの世界に埋没する気持ちがわからないというのです。でも私にはその人こそが三島的人物に思えました。

 

そこで、気がつきました。三島がいう「仮構世界」とか「言葉の世界」というのは、小説という特定の世界のことではなく、「精神世界」「思念の世界」ということなのです。

 

即物的な世界にのみ生きているのではなく、自分の精神世界をもっているということです。

 

私の場合は、しばらく文学から離れて、「現実世界」だけが残ってしまうと、心のなかに風が吹くような感覚に襲われます。大学の授業や事務仕事が忙しいとき、ふと気がつくと心に風が吹いているのです。何でかな、と思うと、しばらく本読んでなかった!と気がつくのです。本を読み始めると、途端に充実した気分になります。

 

現実とは別のもう一つの世界をもたないと私はダメなのです。現実逃避ではないです。

 

ところで、学生のみなさん、上記の「紙屑」ですが、別の解釈もあります。

 

『暁の寺』を書いていたとき、三島は楯の会の活動にかなりのめり込んでいた。その活動の最中に死んでもいいと思っていた。それがかなわず、1970年にあのような形で自死した。1970年を待たずに死に、『豊饒の海』が未完で終わるという道筋もあったかもしれない。しかし死ぬことができなかった。それが現実が「紙屑」になったということ。三島批評においては、「紙屑」はこういうふうに解釈される場合も多いです。

 

私はこういう具体的なこととしてではなく、形而上的に読んでいます。

 

そんなわけで、私は燃え尽き症候群です、というお話でした。

 

ではまた。