今年、北海道の叔母が亡くなりました。101歳。母の姉です。ナカ叔母さん。

 

母方の兄弟はこれで全員亡くなったと思うのですが、どうもよくわからないのですね。とにかく母は何も語ってくれない人でしたから。

 

ナカ叔母さんの娘のM子さんがつくってくれた家系図を見てみましょう。

 

母の両親は「多分50代で死亡」と書いてあります。その頃、母は20代半ばだったとすると、ナカ叔母さんは30代前半でしょうか。〇周忌とか、お墓参りとかどうしていたんでしょう?どこにお墓があるのでしょう?

 

M子さんによると、12人兄弟だったが、幼いとき病死したり、戦死したりして、ナカ叔母さんもよくわからないといっていたそうです。

 

うちの母が一番下みたいです。その上にナカ叔母さん、その上にK太郎叔父さん、その上にT蔵叔父さん。それ以外の8人が全員死んだのでしょうか。

 

「K太郎兄さん」という名前は何だか耳に残っていますが、会ったことはないと思います。どうしてでしょう。

 

T蔵叔父さんという人には2~3度会っています。「貧乏な叔父さん」と呼ばれていて、長屋みたいで薄暗いおうちを訪ねて行った記憶があります。いつ亡くなったのでしょう?母がお葬式に行ったとは思えません。

 

T蔵叔父さんには娘や息子がたくさんいたみたいです。そのうち知っているのは二人。S子には何度も会ったことがあります。S子の娘たちにも会ったことがありますが、上の娘は亡くなりました。

 

T雄のことはよく話に聞きました。「貧乏」を受け継いでいるようです。家系図には他にもたくさん子どもいるのですが、どうしているのでしょう。

 

ナカ叔母さんと母は仲良かったので、そのいとこたちとは何度も会っています。家系図作ったM子、その上が双子のS子とY 子、その上が総領息子のK。Kは亡くなりました。実は、このいとこたちと40年ぶりくらいで最近会って、北海道一週旅行とか連れて行ってもらったのですが、その話はまたあとで。

 

総合的にみると、けっこう早くに亡くなっている、消息不明、音信不通―こういうパターンが多いです。

 

ナカ叔母さんが住んでいたのが北海道滝川市だったので、私は長い間、母の出身地だと思っていました。でも、伊達だったのですね。

 

母が誰かと話をしているなかで、伊達の「有珠山(うすざん)」とか、「せっちゃん」とか、何だろうと思いながらも、聞いてみたことはありませんでした。母も私がいるところで話をしているにも関わらず、私に説明してくれることはありませんでした。

 

もう昔のことですが、今でも、というか、今だからこそ、気になるのは、自分自身をつくったものが何なのか、解明したいからです。母は一体、伊達のどんな家庭で、どんな職業の親に育てられ、どんなことを感じて青春時代を生きていたのか、どんな恋をして結婚しのたか。何一つ知らないなんて、自分が何者なのか知らないような不安感があるのです。