2022年3月×日、この度入会した同人誌『群系』の「合評会」に参加するため、都営新宿線の船堀という駅にやって参りました。

 

東京の西の果ての八王子から、東京の東の果て、少し足をのばせばディズニーランドという場所まで来てしまったことになります。こんなことなら1泊してディズニーランドに行けばよかったと後悔した瞬間でございました。「ひとりディズニー」というのも乙なものでございましょう。

 

『群系』とは、昭和63年から途切れることなく続く、日本の同人誌の雄(ゆう)でございます。その蒼古(そうこ)たる歴史のなかから数々の文学者を輩出してまいりました。創作と文学批評を中心としております。

 

はて、合評会とは、どのようなものでございましょうか。

 

けっこう言いたい放題でございました。自分の文学観に基づいたご意見を、それぞれ好きなタイミングで、自由に述べる形式、とでも申しましょうか。文学に対するパッションが部屋に漲(みなぎ)り、空気そのものが変質するのが感じられました。久方ぶりに青春の熱き血潮が我が心のなかに奔出するのが感じられた3月の午後でございました。

 

誰の何に関してどのような意見が飛び交ったか、具体的な事柄は申しません。

 

私自身は以下の論を出しております。CiNiiという論文検索エンジンのURLでございます。ただし、インターネットから入手する仕組みにはなっておりませんので、ご興味のおありになる方は、お手数ですが、国会図書館などで参照していただくことになるかと思います。

 

CiNii 論文 -  「なりすまし」にはかなり無理がある : 東野圭吾の『白夜行』と『幻夜』において、テクストの空白を埋めるものは何か

 

または『群系』ホームページからお問い合わせくださいませ。

群系ホームページ - 「群系」誌のご案内 (sakura.ne.jp)

 

T女史(創刊の頃からのメンバーでいらっしゃいます)から、「私、最初読んですぐ、犯人が息子だってわかっちゃったわ」というお言葉をいただきました。含意としましては、『白夜行』はミステリーとして失敗作だ、ということでございます。

 

O氏は私の文章をうまいとほめてくださいましたが、東野ごときにうつつを抜かしてるんじゃねえ、という意味でございました。

 

そのあとは、あらゆる人々の口から東野批判(もしくは私批判)が噴出し、筒井康隆のノンセンス小説よろしく、暴走と混沌のエクリチュール(というかパロール)がその場を支配いたしました。

 

万が一にも、「けいごくん」が船堀タウンホールでワクチン接種を受けていたかもしれないと想像すると、恐ろしくてたまりません。自分の名前が怒りとともに連呼されるのを聞きつけ、3階にのぼってきたけいごくんは、そこで一人の女性が必死に自分の著作を弁護するのを聞いて抱きしめてくれたでしょうか。

 

現実と妄想との境界線もあやふやになってしまった私でございました。

 

気を取り直して居酒屋でビール飲み放題にとりかかった我々グループでございました。T女史が「新人」(=私)に今日の会の感想を述べよとおっしゃられましたので、私は、「二度と書かない」と宣言いたしました。私の言葉不足によって、「群系になんか二度と書くもんか」ととられてしまったのは心外でございました。けいごくんのことでございます。

 

1次会には皆さんいらっしゃいましたので、数名の飲み助たちが船堀に居残って参加した2次会の模様を描写いたしましょう。

 

N氏とともに司会の任にあたられたS氏に、次は何を書くつもりかと聞かれましたので、三島由紀夫と答えました。それを合図に5人の方々は口々に三島についてコメントを寄せられました。さすがに、皆様、どの作家が話題にのぼろうとも対応できるだけの読書量でございます。

 

T女史が「私、『音楽』が一番好きだわ」とおっしゃられたのには驚愕いたしました。あれは「不感症」と「近親相姦」を描いている話でございます。「エッ、どういう意味で好きなの?」と不信に思いはいたしましたが、口に出してお聞きすることはなぜか憚られました。

 

私の右隣に自家製の杖とともにお座りのS氏が以前『金閣寺』についてお書きになられたとの情報をいただきましたので、さっそくバックナンバーをみてみる所存でございます。

 

どの作品が好きかとさらに尋ねられましたので、『豊饒の海』であると申し上げ、どの点が好きかとさらに尋ねられましたので、最後の場面の「虚無」であると申し上げました。

 

そんなお話をしている間も、テーブルの上の2皿の餃子が次々と消費されていくのには驚愕いたしました。司会のS氏のお言葉を借りれば、「2皿くらい置いておこう」ということでしたので、もう2軒目だし、みんな食べないだろうけど、お店に悪いから注文だけしておこう、という含意かと思っておりました。ところが案に相違して、決して極上の味とはいえぬ餃子が次々と皆様のお口に放り込まれるではありませんか!大変失礼ではございますが、皆様、私よりも多少お年上であられますが、見事な食欲っぷりをみせていただきました。

 

私は実は『豊饒の海』について語りながらも、餃子が残りあと2つになった時点でかなりの焦燥感にとらわれておりました。皆様がそれにお気づきだったかどうか。何とか1ついただくことができてほっといたしました。

 

実はこの日は夕方からかなりの土砂降りだったのでございます。そのなかを決して大都会とはいえない船堀で、2次会の店を探し出す、皆様の根性と信念には感服いたしました。

 

お店を出ると、我々は、杖をもったS氏の姿がないことに気がつきました。まさしく忽然と消えたのです。あの雨のなかを、決して最も足が速いとはいえないS氏は、どうやってどこに向かって歩かれたのでしょうか。八王子まで(私と同じ八王子にお住まいでそうで)、無事に帰りつかれたのでしょうか。次の機会には私が責任をもって八王子までお送り申し上げたいと固く心に誓った次第でございます。

 

杖をもたないS氏は、N県からご上京されておりました。都営新宿線の途中にある森下という駅で降りられるとのこと。杖をもたないS氏と司会のS氏は、そこで飲みなおそうと、さらなる計画をお立てのご様子。私はその甘い誘惑に打ち勝ち、お二人の後ろ姿を電車のなかから見送ったのがその日の最後の出来事でございました。船堀以上にお店があるとは思えない森下で、お二人は無事に3次会のお店で雨をしのぐことはできたのでしょうか。

 

ところで、私が同人誌に参加させていただきましたのは、いずれ小説を書きたいからでございます。小説を書かずして、この人生を終えることはできない、それほどまでにある種、切羽詰まったものでございます。なぜでしょう。これに関してはまた追々語らせていただくこともあるやと思います。

 

小説執筆の件でございますが、1次会の場で、H氏から貴重なご助言をいただきました。「筆は勝手に動く」「あらかじめアウトラインをつくらなくてよいのでしょうか?」「不要だ」「それだと前後の整合性がとれないような気がしますが?」「気にするな」

 

かつて小説で賞を受賞されたこともあるH氏から、魔法のようなご助言をいただいて、次の日からスイスイと書けることを夢みていた私でございました。「『勝手に動く筆』はどこに売っているのでしょうか?」という質問が私の舌の先から転がりでそうになるのが感じられるくらいでございました。

 

しかし私の経験不足のゆえにそのご助言の真意をつかみそこねていたのです。実際、ほら、こうやって、私は書いているではありませんか!とにかく、書くこと!これなのです。三島由紀夫も言っておりました。「銀行家」のように毎日書くことが大切だと。

 

上記はフィクションを交えつつ、源氏物語の語り手風文体で書いたものです。