例えば、あなたが下校の途中、校庭を何気なく歩いていたとして、
その校庭のずっとずーっと遠くでは野球部が青春を謳歌していたりして、
そのことには特に気も留めず、宿題どうしようかなーとか、コンビニ寄って帰ろうかなーとか、
どうしようもないことを考えて、考えているのかいないのかわからないような感じで
ダラダラ歩いていたとする。
そんな状態で遠く天空から施される、狙いすまされた弾丸をかわせる?
私はできなかった、らしい。神の放ったヒットマンがダラダラな私を撃ちぬく。
『ヒュッ。』『ゴッ。』
左のおでこ。正確には左前頭部からその眼窩部にかけて、とでもいうのか。
例えば、あなたが、そんな衝撃を受けたとして、目の前に広がるものは一体どんな光景でしょう?
闇しかない世界?光しかない世界?今いた世界に星が飛ぶ?それはないか。
私は、意識を失って、倒れたらしい。気が付いたら病院。
正解は真っ白な天井。それが気が付いた私の眼前に広がる世界。
閉じられた世界、左側だけ。
正解は真っ暗な世界。右目を瞑れば。
ちょっともしない間に、ガラガラと音を立てたドアが開く。
開いた口から出てきたのは、お母さん。むくりと起き上がった私を見ると飛びつく。鬱陶しい。
良く見ると、エプロンなんかを小脇に抱えちゃって、
夕食の支度の途中に慌てて駆けつけてくれたらしい。
「大丈夫?痛くない?気持ち悪かったりしない?」
「(お母さんが気持ち悪いです。)大丈夫。」
閉ざされた世界の上にひっついている皮や肉は、なんだかボーっと曖昧。
多分、麻酔。
あんた、野球のボールにぶつかったんだよ。まったく運が悪い娘ね。そんな説明をしてくれたが、
私は教室を出て帰路につこうとしたあたりからの記憶はない。ないような、あるような。
気が付くと母、普段からボーっとしてるからそんな目に遭うのよ、とかなんとか。
いやいや、気を付けたって野球の打球なんてそうそう避けられるか、フツウ。
野球の打球…くだらない。
グダグダ言っている母親を尻目に、辺りを見回す。ここは病院の一室だ。確認、認識。
母の後から入ってきたのか、開きっぱなしのドアの口付近に、
野球部の顧問のケツアゴと、生徒が一人申し訳なさそうにちょこんと立っている。
それに気づいたのか、母は言う。
「あぁ、あの子があんたにぶつけたんだって、球。」
「そう。」
毬栗坊主の中肉中背、顔はよく見えない。片目封鎖中だし。
「中西、大丈夫か。すまなかったなー。」
ケツアゴ、お前の顔は顎だけでわかる。
「すいませんっしたー!!!!」
場違いなくらい大きな声で、坊主が謝る。体育会系だ。でも私はお前の先輩とかじゃないぞ。
「田中もな、悪気があった訳じゃないんだ。許してやってくれ。」
それはそうだ、悪意をこめて部活されても困る。しかもかなりの射撃精度、田中プロになれ。
「問題ですからね!ウチの子をこんな目に遭わせて・・・許さないんだから!!!!」
ヒステリックになる母。母性愛、すばらしい。
「ちょっと母さん、止めてよ。」
私はなんとも思ってない。ただ、お母さんが言ったように運が悪かっただけだろう。
宝くじに当たる人が実際にいるように、
野球の球にぶち当たる女子高生がいただけの話。
「あんたは黙ってなさいっ!」
我が子を思って嘆く母は、もう去ってしまったようだ。さようなら、泣き顔のお母さん。
「大体ね、クラブ活動するならするでそれなりの環境ってもんを…。」
クドクドガミガミ。
さようなら真っ青な母さん。こんにちは、真っ赤な母さん。
ケツアゴ先生と毬栗田中は、しきりに頭を下げまくっている。コメツキバッタを軽く超すほどの上下スイング。
田中は泣きそうな顔を、必死にへの字口で堪えながらのスイング。
バッターボックスに立たされた田中は、赤いお母さんの放ったエグいスライダーによって、
その場に倒れた。顔は真っ白だ。はじめまして、真っ白な田中。
ケツアゴと母さんは慌てて、医者を呼びに廊下に出た。叫んだ。ここは病院で、主役は私じゃなかったのかい。
やることのない主役は、舞台から逃げだして、窓の外の風景を眺めるくらいしかできなかった。
日が沈みかけている。蝉が命がけで鳴いている。空は紫と水色がグラデーションしかけている。
私は、自分のおでこを触る。グルグル巻きの包帯は、柔らかくも硬くもない変な感触を返した。
痛みに怯えながら、ちょっと強めに摩ってみたが、ボーっとなったままのおでこは、
指に『ぶに』という変な触感を残しただけだった。
こうして私は知らぬ間に、無期限で左目を失うことになった。医者はまだ説明に現れない。