「どう足掻こうと、僕は僕以外にはなれないもんね。」
言って、天音は笑う。
いつもの人を食ったような笑方とはちがう、弱々しい、消え入りそうな微笑だった。
天音とこうして話すようになって、何ヶ月がすぎただろう。
数ヶ月前までは、いつも一人で飄々としている彼女を見かければ、たまにちょっかい掛ける程度の仲だった。
現役の学生と研究員とじゃ、その程度が常套だ。第一、彼女は自分と同じ専攻ではないのだから尚更。
そうでなくても、彼女はあまり他人とつるまない。友人は多いようだが、最近になってそれは、他者の片思いのケースが多いのだと知った。
「そうだ、このあいだ楸が楽しい事教えてくれたよ。」
黙々と酒を煽っていた彼女が、思い出したように笑顔になった。
「なんだよ?」
「マッチを片手で擦って煙草に火を付ける。」
「・・・楽しいのか、それ。」
「合コンでやったらさ、」
言いながら、どこからともなく取り出したマッチを、左手で煙草を咥えながら右手で器用に擦って見せる。
「女子にモテるっしょ!」
得意げに笑って見せるが、どちらかと言えばしたり顔でこっちを伺う彼女の方がよほど楽しい。
「あ、うわ、バカにしとるでしょ!」
「してない、してないよ。」
「うそー、顔笑ってますよ。」
「いや、すまん、面白い。」
白状すると、途端に拗ねる。これがまた、面白い。
結構難しいんだぞ、と俺にマッチを投げてよこす。やれ、ということだ。
しかし言うとおり、なかなか難しいのは見て取れるわけで。
「ぶきっちょやー。」
嬉しそうにまた笑う。こうして笑うと、とたんに無邪気に見えるのだから不思議だ。
先ほどのシリアスな表情とこの無邪気な表情は、同じ人物だと言われてもなかなか納得できない。あまりにかけ離れている。
その後も、ああでもないこうでもない、とどうという事もない会話に花が咲き、気が付けばそろそろ帰らなければならない時刻が迫っていた。
時計に向けた視線を彼女に戻すと、いつの間にか、笑顔が消えていた。彼女は、時々こうして表情を失う。恐らく自覚はないだろう。
店を出ると、背中にあたる風が心地よい。隣を見ると、酔っているのかいないのか、のんびりとした足取りで、視線を空へ投げている。
「転ぶぞ、上ばっか見てっと。」
「んー。」
気のない返事は返ってきたものの、視線は戻ってきそうにない。連れ立って歩くと、彼女は必ず空を見る。探しているんだろう、今夜も。
飲み屋街の夜は明るい、空も照らされ星などなかなか見えないのだが。
「あー、あったよ。」
「ん?」
「オリオン座。」
満足したのか視線をこちらに投げてきた。表情は、ない。
どうという事のない話にまた花を咲かせつつ、改札で別れる。ホームまでは、いつも見送らない。
「じゃあな。」
「うん、ばいばい。」
いつも俺が背を向けるまで、天音は視線を外さない。何か言いたげにも見えるが、気のせいだろう。
雑踏に紛れ、帰路につく。
...