時間の経過とともに
報道の量は減っていく。
私はテレビも新聞も見ない読まないなので
どの程度まで減っているのかは分らないけれど、
テレビ局と新聞社の関係、
Yahoo!などのネタ元が何かを考えれば、
おおよその予測はできる。
さらに、世界は混迷の度合いを深め、
次々と事件や紛争が起こる。
当然のことながら、
報道はそちらに時間を割く。
どんなに悲惨な出来事で、
テレビや新聞を一色に染め上げたような事でも、
新しい事件や事故に追いやられ、
報道されなくなってしまう。
けれど、
決して忘れられてしまったわけではない。
メディアが報じなくなってしまっても、
一般の大多数の人の心の片隅には常にある。
東北だって忘れられたわけでも
見捨てられたわけでもない。
多くの人が、
一日も早く落ち着いた生活を取り戻せることを
静かに願っている。
個人でできることは多くはないかもしれない。
せめて思いだけでも。
辛い思いを強いられている人の所へ。
誰かのもとに届いたとき、
ほんの一瞬でも心休まるよう・・・
美しいものを探して。