昭和50年代のおはなし
たしか7歳の夏でした。
小学校の水泳の授業でろくに教えられることもなく、教師が手をたたいて『はい、泳いで!』の一声に泳げない生徒たちは『?!』。
日本あるある(ろくに教えていないのに)『泳げないのが悪い』(その他:逆上がりできないのが悪い、野球のルールを知らないのが悪い、e.t.c、e.t.c...)
で、小学2年の夏、焦った母親がY〇CAの水泳教室(1週間集中コース)に並んで申し込んだのね。同じような状況の子どもを持つ親がおよそ1000人並んでいたって。つまり、そういうこと。
1週間の集中クラスは教え方の上手な先生方(体育大学の水泳選手のお兄さん、お姉さんでした)の元で楽しく、有意義な時間を過ごし、まったく泳げなかったところからクロール15メートル、背泳ぎ8メートルまで泳げるようになりました。
その後受験して進学した先ではプール授業は中学1年の1週間しかなかったのですが、外部から専門家を呼んでレベル分けをして授業が行われました。今でも忘れられないのが、『溺れた時にどう対処すべきかを重点に置いた授業にします』という先生のお言葉。これでいいと思うんですよね。何メートルを何秒で泳げたことで評価されるなんて、その道を目指す人以外ほぼ必要ないでしょう。音楽や美術も同様。
それからどの教科にもいえることだけど、教えられない人(本人にその自覚がないことが多い)は教えないでください、部活の先輩とやらじゃないんだから!ついでに部活も要らないね