おしゃれが大好きだと思っていた

小学生の頃から原宿のストリートスナップに載ってるような個性的な人たちを見学しては

いつか私もあんな個性的な人の仲間入りがしたい!と夢見ていた

ファッションを知って

ヘアメイクを唯一無二にして

そうしたら私は最強なんだと!


だけどリアルな話

当時(中高生)ファッションをプロパーで

しかもブランドの服など買う余裕はなく

古着屋さんで(それもアメリカン古着とかの類)

「それっぽい」格好を探して

なんとなくわたし個性的でしょ?

てなるので精一杯な自分が出来上がって

そんな自分を私らしさと呼んでいた


ハイブランドやらブランド古着を集めるでもなく

なんとなくの自分で確立されてしまったからか

リアルにブランドの服を見に纏う事が

それって本当の私なのか?

というおかしなピースのかけ違いのような事が起きてそれは今も自分の中で右往左往している


今の私はおしゃれと言ってくれる人もいるけれど

自分の中での理想は全然違うんだ!

と叫びたくなるような

これでオシャレなのかな?

私はまだまだこんなんじゃ終わらないのにぃ〜!

みたいな感覚でいたのだけど

今日とある服飾学校の入学式の風景がSNSで流れてきたのをみた時に


小学生の頃の私が原宿でワクワクしていた個性的な格好をしている人たちと同じような方々が出てきたはずなのに、なぜだか心は躍らずにむしろ若さゆえなどがあったにしても、なんというかこういうのを個性的なファッションとしてやりたいのかと聞かれると、今の私は誰とも違う格好をする事が正義!みたいな事ではなくて、肌触りの良い素材で長く使える服を大切に着たい気持ちなので

柄物やデザインが凝ってるものも大好きだけど

最近目につくのはシンプルな格好ばかりだから

今はあれこれ凝ったものよりもシンプルを楽しみたいのかなぁと感じる


なんでそうなったのか考えてみたら

個性的な自分でならないと私はわたしじゃなくなるという強迫観念みたいなものが昔から無意識レベルにまで浸透していて、それが私自身を苦しめていたのかもしれない


加えて体型コンプレックスも相まって(これは世の女性も男性も少なからずどこかしらは持っていたりするかもしれないのだけども)

ピタッとする服よりもダボってる服で個性出そうとしたり、自分をさらけ出す事への不安から身を隠す格好へ変化していったのかもしれない


そうして我が家にはメンズのオーバーサイズの服ばかりがゴロゴロ置いてあるがために、スッキリした格好をしたくてもダボ服たちがそれらを阻止しようとしてくる


それらは自分の中の自信の無さ

個性的なファッション🟰承認欲求の塊


そんなものたちを満たすのが私がやりたいこと?

違う

今の私はゆったり自分らしさを見つけていきたい

ユニクロの服が被ったとしても私が似合っていればそれでいいのだ


きっと私らしくというのは

そうやって自分には何が似合うのか何を着たいのかをチャレンジして見つけていくことなのかもしれない

シンプルでも私がなくなるわけではない

体型が丸見えでもバカになんてされない

大丈夫

私はわたしのことを全部まるっと受け入れてあげる