(私の心の備忘録です。長くて重いのでスルーしてください。)
先週のこと。
父より
「おじさんの具合が悪いらしいわ」
と電話がありました。
それを聞いたときにすぐに行けなかったのは、
以前と変わった叔父様を見て、
私が普通の状態でいれるかどうか自信がなかったから。
要は自分を守ることを考えてしまったんですよね。
散々迷って、
彼とも相談して、
この土日で名古屋に行くから、と言おうと思った電話で、
「ついさっき亡くならはったから」
と聞かされることになってしまいました。
ここ数日、電話の着信音を恐れていたのは、
このせいです。
また、大好きな人とお別れしなければ
いけなくなりました。
パパは、私の体になんかあってはダメだから、
と私は欠席する旨をもう先方には伝えたとのこと。
あのときすぐに行っていればよかった。。。
と、今は後悔していますが、
それは今だから言えることなのかも知れないし。
約5年前から癌を患っていた叔父様は、
小さいころから私にとっては憧れの存在でした。
父の兄弟の中で
いち早く奈良を出て自分で会社を興し、成功していた人。
立ち振る舞いも装いにも貫禄があって、
話も面白くって、
叔父様に会える夏休みを本当に本当に楽しみにしていたものでした。
お小遣いがもらえるっていう下心もあったのかもね。
私たちが成長するにつれ、
叔父様の家族が奈良に帰ってくる日数は短くなっていきました。
最初は数日だった滞在も日帰りなんてこともあって、
せっかく叔父様や当時は本当に好きだったお兄ちゃんに会えるからと
張り切って髪を切りにいった私は、
ガッカリしていたのを覚えています。
最初は病院で治療していた叔父様は、
途中で在宅治療に切り変え、
枇杷の葉、人参ジュース、玄米菜食などを取り入れた
免疫療法を中心に治療されていたようです。
それがよかったのかどうかは、詳しく聞いていないので
なんともいえませんが。
数年にわたって癌と闘ってきた叔母様と叔父様。
病気に気づかずに旅行にでも行くかのように、
一ヶ月で旅立ってしまったママ。
どちらが良かったのかはわかりませんが、
私たち家族にとっては、ママが辛い治療で苦しむこともなく、
綺麗なままで旅立てたことを思うと、
プライドの高かったママにはこれでよかったのかな、
と思っています。
無理やりなんだろうけれどね。
それは、笹子先生という素晴らしい先生にかけていただいた言葉があって、
今そう思えているのかも知れません。
それを思うと本当に笹子先生には感謝しないと。
一緒に旅行にもたくさん行けたし、
買い物にも行ったし、
美味しいものもたくさん食べれたし、
厳しかったけれど散々甘やかされて育ててもらって、
ママは最高の人生だって言ってくれた。
そういえば、
昨日、もう一昨日か、
ママの夢を見ました。
最近は、
寂しいよー
ありえへんよなー
たまらんわー
なんて、
ママへの思いやりの気持ちや親孝行が足りなかったことを
思い出しては一人嘆いていると
ママが会いに来てくれている気がします。
そう。
思い出すのは自分の至らなかった点ばかり。
一緒に買い物に行っても、
この歳になってママに買ってもらうことに気が引けて
別行動してみたり、
風邪気味だったママがおうどんが食べたいって言っていたのに、
私の我がままを聞いてくれてオムライスにしてみたり。
でも、ママの夢をみたそんな朝は、
決まって心が満たされているのがわかるのです。
ママ、叔母様、叔父様の共通しているところは、
華やかなことや物が大好きで、グルメで、
社交的で、おしゃべりで、我が強いこと。
だから、きっと三人ともこの世界には後悔なんて少なくって、
今ごろは上で三人で大笑いしているんだろうなって。
想像しただけで楽しそうでキラキラしていました。
でも、
私たち家族の認識としては、
“長生きをしようと思えば、地味に、玄米菜食や煮物のような昔の日本の食事”
というのを心がけるように。
それが自分の人生を思ったときに幸せなのかどうかは
個人の考えにもよるのだろうけれど。
私はやっぱり一日でも長く好きな人のそばにいたいし、
大切な人たちを少しでも幸せな気持ちにしたいと思うし、
子どもの成長を見届けたいし、
だから平均寿命くらいは生きなくっちゃ。
今はパパが弱気になってないか心配です。
ご冥福をお祈りして。
また会える日を楽しみにしています、叔父様。