今日は、ママの一周忌法要でした。


こんな堅苦しい非日常的な文字を記しているにも関わらず、

ママのことではないような気分なのです。


去年の12月9日に旅立って、一年。


嘘のような出来事で、

もしかしたら、まだ私は受け入れられていないのかも知れません。

だからきっと今でも

「嘘でしょ?」

って何度も自問してしまうのです。


だって、ちょっと前まで話してたやん。

歌だって口ずさんでいたし、

相変わらずの毒舌も絶好調だったし、

あんなに元気やったやん。

あんなに笑ってたやん。

あんなに好きなものばっかり食べてたし、

あんなに毎日電話してたやん。

買い物だって一緒によく行ったし、

しょっちゅうプレゼントを送ってくれていたし、

美味しいご飯だっていっぱい作ってくれたやん。


仕事で帰りが遅いこと、

冷え性なこと、

塩分を取りすぎること、

寝るのが遅いこと、

彼の出張が多いこと、

彼のたばこのことを

いつも心配してくれてたやん。


私の鞄がいつも重いこと、

早口なこと、

何事もきっちりしないこと、

休日の朝すぐに化粧をしないこと、

お昼までパジャマで過ごしたりすること、

よく噛んで食べないこと、

奈良に帰ってくる時にジーンズをはいていること、

髪や肌の手入れを怠っていること、

チークが濃いことを

よく叱ってくれたやん。


たいてい旅立ちまでには段階があって、

その段階に応じて、周りのものも心の準備ができるものだと思っていました。


ママはその段階を一気に飛び越えて、最高に幸せな想い出を残して旅立っていきました。

ママらしいといえば、ママらしいのだけれど。

私たちは心の準備をする間もなく、なんの実感もなく、突然暗闇に放り出され、私は体温や人生の目標や生きがいを奪われたかのように、ただ惰性で生きる日々が始まったのです。


虚無感。

後悔。

自責。

悲壮感。

諦め。

いろんな感情が同時に、

かと思えば、

入れ代わり立ち代りやってきました。


その感情に向かっても向かってもどうしようもなくて、

ただ身を任せるしかありませんでした。


でもやっぱり、母の遺伝子を受け継いでいるという実感、

ママから多くの愛を与えられたという実感が

今も私を支えてくれています。


そして、

いつもどこかで気に掛けてくれている

家族や友人のおかげで何とかまっすぐ上をむいて立っています。


私たちにとっては、辛くて、寂しかったのだけれど、

でも今までで一番、ママのことを想い、感謝し、ママを愛しいと思った一年でした。


昨日から、ママを姉のように慕ってくれていた方や親戚の方の訪問があり、ママとの想いでやお互いの気持ちを吐露することで、やっぱりどうしようもないくらい寂しくなったりもしました。

でもこうして涙を受け止めて、私の将来を楽しみにして、叱咤激励してくださるというのはとても有難く、嬉しいこと。


強くて姉御肌だったらしいママ。

いろんな人から相談を受けることも多かったようで、

何か問題に直面したり、悩んだりしているときは

「お母さんやったら、こういうとき、どう言わはるかな?」

って、ママの言葉を思い出したりしてくださるのだそう。


私が横浜に帰るとき、

ママはいつまでもいつまでも手を振って、

満面の笑みで見送ってくれました。

私もママの姿をすぐに見つけたくて、電車のドア付近にたって、

見えなくなるまで手を振りました。


ママの「バイバイ」はいつも左右ではなく、

手を縦方向に回転させる「バイバイ」。

ほんと、思い出せば思い出すほど可愛い人です。

そんなことをパパがまた思い出したようにいうもんだから、

また堪らなくママに会いたくなったよ涙


一周忌の法要では、

たくさんの方からママが大好きだった綺麗なお花やお菓子、果物などをいただいて、とてもとても感激しました。


こんなにたくさんの人がママのことを覚えていてくれて、

ママのために時間を割いて、

それを選んでくださっているのですから

なんてお礼を言えばいいのやら。


言葉だけでは感謝の気持ちを表現できませんが、

本当に本当にありがとうございましたきらきら


大好きなものに囲まれて、

写真の笑顔もいっそう嬉しそうに感じました。


これからも変わらず、みんなの心の中で

強く美しく生き続けることができたのなら本当に素敵なことだなー

と思います。


そして私は、ママの意志や想いを受け継いで、

誇りをもって生きていきたいな、と思っています。



ママ、ありがとう。

これからもよろしくね。


精一杯の愛を込めて。