タコマナローズ橋

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タコマナローズ橋、1950年 の再建後のもの
初代タコマナローズ橋の崩落(1940年 11月7日 )
落橋の様子

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タコマナローズ橋(タコマナローズきょう、Tacoma Narrows Bridge : タコマ橋)はアメリカ合衆国ワシントン州ピュージェット湾 にある海峡タコマナローズ (Tacoma Narrows) に架かる吊り橋 である。

初代の橋は設計上の問題から、架橋後間もない1940年 11月 、予想に満たない強風の影響で落橋する事故を招いたことから、技術史上有名である。

目次

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沿革 [編集 ]

初代タコマナローズ橋は1940年7月1日 に開通した有料道路 橋であり、全長1,600m、吊径間853m、幅員11.9mを有していた。太平洋側 有数の港湾都市 タコマ 市と、アメリカ海軍 有数の海軍工廠造船所 )があるブレマートン 市などの位置するキトサップ半島 地区を結ぶ目的で建設された。当時キトサップ半島の開発が進展する過程で、タコマナローズが交通 の障害となり、通過にはフェリー を利用するか、湾の最奥まで遠回りする必要があったためである。

当時の最新理論に基づいて設計されており、架橋当時は世界で第3位の長さだった。当初設計は、アメリカでの橋梁設計の第一人者であったレオン?モイセイフ (en:Leon Moisseiff )による。

架橋から落橋まで [編集 ]

1920年代 から架橋計画は取り沙汰されていたものの、建設が決定されたのは1937年 であった。設計は紆余曲折ののちレオン?モイセイフに委嘱され、1938年 に着工された。支柱建設にやや苦心はあったものの、工事はほぼスケジュールどおりに進んだ。

当初、余裕を取って幅広に設計されるはずであったが、コストの制約から自動車対面通行 に一応支障ない程度の、比較的狭い幅員で建設された。モイセイフはコストと構造合理化の両面を考慮し、橋本体について、橋桁 の寸法をごく薄くした野心的な軽量設計を採用した。当時最新の架橋理論によれば、これでも必要な強度は確保でき、強風にも耐えられると判断されていたが、専門家の一部にはこれを不安視する声もあった。

果たして建設中から、タコマナローズ橋は風のある日に大きく揺れ、たわみ、ねじれることを露呈した。橋桁は上下方向に揺れ、路面はあるところでは高くな り、あるところは低くなるのが、橋上にいてもはっきりわかるほどで、工事関係者を気味悪がらせた。このため開通を1ヵ月後に控えた6月1日2日 には、橋の中央部でメインケーブルと桁をV字型に結ぶステーと、塔と桁を結ぶダンパー が設置された。

開通後も少々の風でひどい揺れを生じたため、さらに10月4日 から7日 にかけて側径間から地上へケーブルが張られた。しかしそれでも根本的な揺れは収まらなかった。

竣工後も派手に揺れ続け、振幅が1メートルを超えることもあったこの橋には、早くからロデオ 競技になぞらえて"Galloping Gertie"(馬乗りガーティ)というあだ名が付くほどだった。橋を自動車で渡るドライバー が、走行中の異様な震動で「橋酔い」することすらあり、新しい橋に危惧を抱く者は、遠回りを承知で湾奥経由の移動を選んだ。

1940年11月7日 、早朝より風による振動が続いていたが、風速19m/sに達した途端、それまでの上下方向の振動から大きくねじれる揺れに変わった。このような揺れが1時間ほど続いた後、主径間の4分の1点で桁が座屈 し、橋床が落下した。この直後に最終的な崩壊が始まり、結果として主径間では橋桁がケーブルからちぎれて崩落した。このため塔は側径間側に傾き、側径間は10メートルあまり下方にたわんだ。

なお、落橋直前は明らかな危険状態であったことから、いち早く両岸で通行規制が敷かれ、崩壊直前には、橋の上の状況観察に徒歩で赴いた技術者 ?研究者 らも陸上へ避難していた。従って落橋の瞬間には橋梁上は無人で、人間の死亡者は生じなかった。犠牲となったのは、橋の上に停められた車にとり残されていたアメリカン?コッカー?スパニエル 犬一匹のみだった。

事故調査とその後の教訓 [編集 ]

この大落橋が有名になったのは、崩壊のその瞬間のみならず、激しい揺れを生じ始めてから、崩壊を終えるまでの全経過が、映画用カメラ で連続撮影 され、映像として完全記録されていたためである。この詳細な記録により、構造物が風を受けて生じる振動についての研究が、急速に進展した。

架橋直後からわずかな風でも激しく揺れることが問題となっており、おりしもワシントン大学 の研究チームが調査中であった。風速測定や写真 撮影による振動記録を含んだデータ 取得が続けられていたが、11月7日朝に異常振動が始まったのを察知した研究チームは、急遽近くの写真店から映画カメラを借りてきて橋を観察できる位置に据え付け、結果として橋に起こった破滅の一部始終を映像として記録し得たのである。

落橋後の原因調査で、桁が薄い板状になっていると、振動が非常に起こりやすいことがわかった。この振動は横風によって桁の上下に発生した空気の が桁を上下に振動させ、さらに大きな渦が発生して振幅を増大させ自励振動発散 振動)と呼ばれる。タコマナローズ橋の場合は、桁の薄さと幅員の狭さが相まって剛性 が不足し、ついには振幅増大による崩壊を許容してしまったのである。反省から、以後多くの長大吊り橋には、補強のための補剛トラス が備わることとなった。

タコマナローズ橋落下は第二次世界大戦 激化とも相まって、長大吊り橋の建設を一時停滞させることにもなったが、この教訓から長大吊り橋においては、補剛トラスで十分な強度を確保することの重要性が認識されるようになった。更なる改良として、1966年 に開通したセバーン橋 では補剛トラスで補強するのではなく、桁断面の形状を 状にして風の影響を少なくするというアプローチをとっている。

1950年 完成の新しいタコマナローズ橋と、2007年 完成の第二の橋

タコマナローズにはその後新しい橋が建設され、1950年 10月14日 に開通した。長さは5,979フィート(1,822m)、最大スパンは2,800フィート(853m)、海面 からの高さは57.15m。建設業者は以前と同じ。今度は揺れなかったため、"Sturdy Gertie" (丈夫なガーティ)のあだ名がついた。当初1日6万台の通過を予定していた新タコマナローズ橋は交通量 の増加により、2005年 には1日9万台の通過があり、2002年 からすぐ横に新しい吊り橋 の建設が行われた。新橋は2007年 7月15日 に開通し、従来の橋は西向き、新しい橋は東向きの車線 に使われている。

参考文献 [編集 ]

ウィキメディア?コモンズ
ウィキメディア?コモンズ には、タコマナローズ橋 に関連するカテゴリがあります。
  • 川田忠樹 『だれがタコマを堕としたか』 建設図書、1975年
  • Richard Scott(翻訳:勝地弘 、大橋治一、鳥海隆一、花井拓) 『タコマ橋の軌跡 -吊橋と風との闘い-』 三恵社、2005年