
こういうCDのガイドブックのようなものは各社からさまざまな形で発行されている。その中には万人が認める決定盤というものがある。
ベートーヴェンの「第9」だったら、やはりフルトヴェングラーのバイロイトライヴに止めを刺すだろうし、バッハのゴルドベルク変奏曲ならグレン・グールドの新旧両方の演奏ははずせないだろう。
こんなメージャーな名曲に名演奏家の組み合わせをあえてここに書いても仕方ないので、このブログでは「私的な」名曲・名演奏を書いてみたい。
ただ、ガイドブック的な名曲・名演奏を私は決して否定はしない。長年の批評の波を潜り抜けて残った演奏はやはり訴えかけてくるものがある。ただ、こういった演奏ばかり聴いていると、自分の耳で聴いて、自分の価値観で判断するという音楽鑑賞するうえで最も根本的な「楽しみ」が半減してしまう。ミシュランに載ったレストランばかりが一流ではない。隠れた名店はいくらでもある。それと同じだと思う。
第1回目はV.A.モーツァルトの「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲 K.573」。
最初から、ちょっとマイナーな曲で申し訳ないが、このピアノ変奏曲は私が愛してやまない佳曲。モーツァルトはピアノソナタを筆頭に協奏曲などさまざまなピアノ曲を書いているが、その中でも変奏曲は素晴らしいものがそろっている。いわゆる「キラキラ星変奏曲」が有名だが、もともとこういう変奏曲はパーティとかの宴会の場で即興的に作られたものが多く、いまや楽譜さえ残っていない一度限りのものも多数あると聞いている。
この「デュポール変奏曲」も、もともとは晩年近くのモーツァルトが経済的な理由から就職口を探している際、宮廷楽師のデュポールの歓心を買うために彼の曲をモチーフに作られた曲。
私が初めてこの曲を聴いたのは、イングリッド・へブラーの「モーツァルト ピアノ変奏曲全集」という3枚セットのものから。この全集はモーツァルトのピアノ変奏曲を聴く上で基本となるものだが、「デュポール変奏曲」についてはさほど印象には残っていない。ほかの多くの変奏曲同様、「悪くは無い」曲のうちのひとつといった印象。
しばらくして、決定的な名演奏と出会った。それがこのクララ・ハスキルの演奏のもの。
クララ・ハスキルはモーツァルトに関しては、いくつかのピアノ協奏曲、ヴァイオリンソナタそしてピアノソナタを残しているが、どれも全集といった大それたものでなく、納得のいくものだけを録音したといった感じがする。実際、K.475(?)とかの録音のオファーがあった時に、ディヌ・リパッティの名を上げ、「自分には自信が無い」と断ったエピソードが残っているくらいである。
ハスキルのこれらの演奏も、もちろん全部聴いている。しかし、さほどいいとは思わなかった。地味で華やかさが無い。
しかし、この「デュポール変奏曲」の録音を聴いたとき初めて、ハスキルの真価が理解できた。淡々としたピアノで派手さというものが全く無い、モノクロームのモーツァルト。だが、墨絵が時として極彩色の油絵以上の表現力があるように、ハスキルの弾き出す一音一音がモーツァルトの心情をそのまま織り成しているかのようである。
この曲は決して暗い曲ではない。むしろ躍動感のある愉悦感あふれる曲である。多くのピアノ奏者はそこを意識してか、きらびやかに玉を転がすような音で構成する。
ただ、ハスキルひとり愉悦感を抑えた、一聴すると平板な音。だが、この抑えた音の中に生活苦のため宮廷楽師に媚を売ってまで職に付こうとするモーツァルトの胸のうちが見えてくる。
ハスキルがそこまで意識して弾いたかどうか知らない。だが、そのピアノの音はモーツァルトの胸中そのものである。