




そんなカメラにまつわる思い出と作品を何回かに分けて書きたいと思います。
1回目は初めて私が手にした記念すべきカメラ、「エボニー35」。
当時、家にはレンジファインダー式ながら「まとも」なカメラが1台ありましたがこれは専ら兄の占用品で私の手の届かないところにありました。
このエボニー35、ご覧のとおり、カメラと呼ぶには?な代物です。買ったのもカメラ店でなく町のプラモデル屋。それでも写真のサイズは35ミリ版のフルサイズでした。
レンズは1枚の単焦点。35ミリ換算で28~35ミリ程度だったでしょうか。これでも絞りとシャッター速度は選択ができました。と、いっても絞りはf8とf11の二つ。シャッター速度もバルブと30分の1。フィルムはボルタ版でパーフォレーションがない裏紙付きのもの。ちょうど120フィルムをスプール巻にしたような感じでした。1本のフィルムで12枚くらい撮れた様に覚えています。ちなみに、フィルムもこのプラモデル屋から買いました。
実物の写真は、つい最近オークションで落札したものです。完全なデッドストック品で元箱、取扱説明書とも当時のまま。もちろんカメラも無傷。このカメラとは35年ぶりの再会になります。まさにこのカメラ!こうして手にしてみると驚くほど小さいものです。私の片手にすっぽり収まる大きさ。
このカメラを使用したのは1972年、私が小学校4年生の時。この年の春に長崎線が無煙化され、佐賀駅でD51やC57、D60が見られなくなりましたが、まだ唐津線や佐賀線に9600が残っており、佐賀駅に行けばいつでも1、2両の9600を見ることが出来ました。
被写体はもちろん、これらの蒸気機関車。佐賀駅に停車中のもののほか入れ換え作業中のものや、唐津線、佐賀線での走りも撮りました。30分の1ながらかろうじて見られる程度には止まってくれたものです。筑豊にも遠征しD6046を飯塚駅で撮影した記憶もあります。
写真はそのうちの一部。ご覧のとおりフリータイプのアルバムに貼ったプリントを直接デジカメで複写していますので写りはよくありませんが、プリントの実物はそれほど悪い写りでもなかったと思います。
場所はいずれも佐賀駅のホームから。停車中の79605はこのあとバック運転で佐賀線に入線し瀬高までの貨物列車となります。
ただ、今手元に残っているのはこれらを含め数枚しかありません。当時は今と違って全く物に執着しなかったため、プリントも気前よく友達にあげたりしていました。ネガの類も1本も残っていません。残念ですけど仕方がないですね。
このカメラの現役期間は約1年半。手荒く扱ったためかシャッターが壊れてしまい、当時の子どもが誰でもやったようにネジ類をはずして分解。跡形もなくなってしまいました。