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 1964年10月1日、この日は日本の鉄道史を語る上で決して忘れられることがない日だろう。東海道新幹線開業の日。

 そしてまたこの日は東海道本線が日本の大動脈の看板を譲り渡した日でもある。「こだま」をはじめ「つばめ」、「はと」、「富士」等の151系を用いた電車特急は東海道という表舞台から去り行くことになる。そのうち「つばめ」、「はと」は「新大阪・博多」間の特急電車として西へとその活躍の場を移した。

 そこで問題となるのが九州内の交流区間。151系はもちろん直流電車。ならばとサヤ420をサービス電源供給車にして関門間はEF30、九州内はED73牽引にしてしまうという発想。九州内では151系電車はパンタを下ろし客車になる。

 「そこまでして走る姿を見るのは実に忍びない。」という、ファンの声もあったそうだ。国鉄電車史上最高の設備を有した特別座席車「パーラーカー」も空気を運ぶだけという寂しさ。

 この変則運転も1965年10月1日、481系の運用開始により終了した。

 上のサボは、まさに151系にとって屈辱に満ちた1年間限定のもの。裏面、「新大阪・宇野」は「ゆうなぎ」運用時に用いられた。

 しかし、塗り変えられることなくよくぞ残っていたものだと思う。