前回に引き続き、天国へ行く方法について。
いい生き方をする(=いい死を得る)ことについて近頃考えています。
☆人間が幸福になれていない原因を特定する
幸福な死を迎えるのに必要なのは、幸福に生きていく事だ。では、自分にとっての本当の「幸福」とは何か。受験や就職や結婚、人生で大きな選択をする際には必ず考えなければならない、一生の問題だ。でも、自分の「幸福」像を正確に把握するのはとても困難である。試験が終わって自分へのご褒美にケーキを食べて、いい学校に受かって、幸せなはずなのに、なんとなく満たされないフラストレーションのようなものを日々感じることはないだろうか。
そこで、今回は「幸福」について掘り下げて考える。人間の幸福には二種類ある。
第一に、肉体の幸福(物質的幸福)だ。これは例えば、食欲や睡眠欲等、自分の肉体が求める欲求が満たされる幸福である。第二に、精神の幸福(非物質的幸福)である。これは、人から愛されたいとか、認められたいといった、自分の精神が求める欲求が満たされる幸福である。
人間は他の動物と異なり高度な社会性や理性を持っており、特に後者の精神の幸福に重きが置かれた動物である。つまり、肉体の幸福が満たされる事よりも、精神の幸福が満たされている状態の方に幸福を感じるのだ。だから、人は信念のために切腹をし、信教のために断食をしてきた。重罪人には切腹が許されず、死刑執行人による死罪であったように、人は他人に強要される肉体の犠牲はもちろん最悪だと考えていたが、自己の意思での選択であればその自由を誇りに思い、そのような行動をとる事ができることに満たされていた。
一方現代人は精神よりも肉体ばかりを優先し、その結果慢性的に正体不明の不幸に捕われて自殺を選ぶ者も増加した。この慢性的な正体不明の不幸とは、精神に従って肉体を動かすのではなく、肉体に従って精神を動かす苦しみである。
こうなった原因は主に二つある。一つ目に、社会がモノにあふれたということである。つまり、肉体の欲求を満たすことが精神の欲求を満たすこととは比べ物にならない程楽になってしまったため、人は肉体の欲求を満たすことばかりに固執するようになってしまったのだ。
二つ目に、肉体的な死が過去に比べて身近ではなくなったということである。現代社会において人が肉体的死に触れる機会は減少し、そうして自分の肉体的な死についてもリアルに想像することは難しくなった。
しかし、人間とは精神と肉体という全く異なる二者が同居している者であり、片方を優先して考えるとすると、もう一方をどれだけ犠牲にするか、という問題に直面する機会は発生する。(精神の幸福と肉体の幸福の間には相関関係があるため必ずしも常に相反するという訳ないが、今回その点は省く)そのため、精神に最も忠実な選択をするならば、肉体保守的思考から脱するために、その犠牲の延長上にある肉体的死を(実行の問題ではなく)選択肢の可能性としてリアルに考える能力を持っている必要がある。つまり、精神のためには肉体を犠牲にする選択をもできるという覚悟が必要なのだ。
その覚悟を失った結果、人は精神の生を失いかけている。
以上のように、人が真に幸福になれない原因とは、第一に多くのモノに囲まれすぎている事、第二に死への想像力が衰えた事だ。だがこのような環境下でも真に幸福に生を全うし、よい死を得て天国に昇る者はいる。重要なのは、肉体よりも精神を大切にする事で幸福に近づけるという事を再認識することではないだろうか。
またなんだかよく意味が分からなくなってきた。
つづく
