前回から約ひと月ぶりに再会することになった、

大阪七福神巡り。

今回も天候に恵まれてよかった!

 

さて、前回時間切れのために参拝することができなかった

 

「大国主神社」(敷津松之宮神社)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敷津松ノ宮神社の敷地内に大国主神社があるのか、

大国主神社の敷地内に敷津松之宮神社があるのかは不明だけれど

本殿の正面に鳥居がそれぞれ置いてあることに感激した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回でも少し登場した自称寺社仏閣に詳しい弟が言うには、

基本的に鳥居は本殿に対して正面に造られるとのこと。

鳥居は神域への門の役割をする。

 

なので、この大国主神社はどちらの神様にも玄関を用意していることになる。

 

勝手な解釈をすると、この神域に住まうふたつの神様は対等だということなのだろう。

つまり、敷津松之宮・大国主神社というが正しいのではないだろうか。

 

なお、敷津松之宮神社はスサノオノミコトと大国主を主祭神とする。

スサノオといえば、ヤマタノオロチを退治して天叢雲剣(草薙剣)を手に入れたことで有名。

 

そして大国主はスサノオの子孫にあたり、「オオクニヌシ」と読むのが正しい。

 

 

あれ、七福神で日本由来の神様って恵比寿さんだけじゃなかったっけ?

 

そうなんです。

七福神の大黒天はヒンドゥー教ぼシヴァ神の化身マハーカーラが元。

では、大国主の大国さんは大黒天と間違ってるのか、というとそうでもないようで…。

 

 

 

とりあえず言えるのは、大国主が「ダイコク」と読めることから大黒天と混同され、

当初は破壊と豊穣の神として信仰されていたけれど

室町時代に「大国主命」(オオクニヌシノミコト)の民俗的信仰とも習合し

江戸時代頃に現在の米俵に乗った打ち出の小槌を持つ姿が出来上がってきた。

ということみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

また勉強して出直します!

 

大黒天は豊穣の神という性格をもつため、狛犬がネズミでした。

 

敷地内にある御神木を見るのが好きで、敷地内を散策。

 

 

 

 

 

 

 

三光神社にあった「陸軍墓地」を思い出します。

あちらは第二次世界大戦までの殉職者の墓地で、日清戦争の頃の墓石が目立ったが

こちらは日露戦争で亡くなった方に対しての記念碑。

 

記念というと、昨今ではおめでたい時に使われることが多いので

少し不謹慎な言葉かと思ったが、

「記して念じる」が記念の文字の意味ならば

忘れないように残すことで、戦争に対する気持ちを思い出すことは大切と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

木津勘助という人の像があった。

私は初めて聞く名前だが、水の都大阪の水路を築いた人なので、

大阪を調べると結構重要な人物かもしれない。

 

 

ちょっと長くなってしまったので、今日はここまでにします。

ご高覧ありがとうございました!

次回は七福神今6番得目、今宮戎です!

 

↓↓↓↓参考にしたサイトを以下に紹介しています↓↓↓↓

 

いにしえの都 https://spiritualjapan.net/7782/

浪速区 https://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000001078.html

敷津松之宮神社(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B7%E6%B4%A5%E6%9D%BE%E4%B9%8B%E5%AE%AE