Monkey-Times -79ページ目

はうぁ!!

ペットボトルのお茶をフタ閉めんとカバンにしまってた



だだもれや



あるある

高校時代

学生さんがギターを担いで登校してたりするのを見ると、とても懐かしくなる


俺は高校に入って初めてバンドを組んだ

俺がギターを弾いてるのを知ったクラスの子が、「友達にベースやっててバンド組みたいって言ってるやつがいて」と、その友達を紹介してきた


「とりあえず軽音楽部に入ろう」ということになって、二人で入部した


それからベース君は熱心に同じ学年の人達にお願いし倒してボーカルとドラムを見つけてきた


めでたく生まれて初めてのバンド結成


楽器経験者は俺だけということでリーダーになってしまった

練習用の曲をえらんでヘッポコバンドスタート

恐ろしいことに、うちの軽音楽部には「朝練」があった


音楽室は吹奏楽部が主に使用していたので、使えるのは朝しかないとの理由

学校的にも吹奏楽部を推したい感じで軽音は邪魔者扱いやった

吹奏楽部がデカい音出しても何も言われないが、うちらがデカい音を出すと必ず苦情がきた

だから僕達は音楽室の窓を全部開けて、朝っぱらから下手な演奏をみなさまにお届けしていた

ドラムの子は曲の途中からテンポがだんだん遅くなって、たまに足をつっていた

ベースの子は地味やけど、すごいペースで上達していった

ボーカルの子は校内でもアホなキャラで有名な子で、ライブの時はみんなで変な格好させていた。

わざわざその為のミーティングまで開いて、MCの内容までみんなで考えて、なるべくアホなことをしゃべらせていた。

本人はかなり乗り気で率先してブルマーをライブで履いてくれたりした

僕はキチガイみたいにギターを弾き倒して、バンドの下手さをごまかす役目だった


高二になり、三年生が退部すると、俺は知らんうちに部長になっていた

文化祭は軽音楽部のライブがあるのだけど、アンプのレンタルやらPAをやったりと殆んどを仕切らされた

悔しいのは、文化祭には後夜祭があって、グラウンドにステージを作ってのライブがあるのだけど、軽音は軽音でライブがあるから出れないという訳の分からん規則があったこと

デカいステージで、沢山の人達の前で演奏しとるのを見ながら歯痒い思いをした


それから三年生になり、「進路」とかいうやつが出てくる

みんなそれぞれ受験で忙しくなり解散

俺は大学に行く気もなく、進路は宙ぶらりんだった


それから


それから


もう何年も経って、お互い今何をしてるかも分からなくなった頃、同級生から電話があった


ボーカルをやっていたN君が亡くなったとのことだった


彼は大学で陶芸に目覚め、色んな賞を取り、若手陶芸家として注目されていたそうだ

N君はボランティアで行った外国で、作業中不慮の事故に会って死んだ

葬式で久しぶりにN君に会った

彼は沢山の作品を残している

すごいことだ

亡くなったことは悲しいけど、その作品を通して俺はN君に会える


みんなばらばらになったけど、悲しくはない

みんなありがとう

散髪

この間、職場のえらいさんに

「K君、髪伸びたな~」

と、「ええかげん切れよ」と含みを持たせた感じで言われた


これもきっかけかと散髪に



ミッシェル、ラストツアー時のチバみたいな感じにしてもろた


悪くないねぇ