下り階段は特に。


ズンズン降りると足のテンポと腕を振るテンポが合わないんだよね。


仕方ないからポケットに手を入れてさ。


やっぱりポケットの中でもダメなんだよね。


合わないよね。


手足。


では、おしまい。
りうへい。

今度は短く。



こんな時間だし、眠いしさ。



地下鉄のホーム歩いてたら、暗い顔してベンチに座ってるホームレスの人がいた。



「もしかしたら僕だってあの人みたいになってたかもしれない」



同じようにこいつ仕事してるのかよ、って思っちゃうくらいいい年なのにちゃらちゃらした人もいて。



「もしかしたら彼も別の選択肢を選んだ結果の僕かもしれない」って思った。



ちょっとした有名人の同級生をテレビで観ると、その人生の分かれ道を色々考える。



「あの時こうしてればな」



そう思うことは少なくない。



でも30年も生きてきたら、前向きに考える術を覚えるわけ。



「今の自分が一番、全てがいい経験。そのおかげで今の自分がいる。」



「もし違う選択肢選んでたらとんでもない人生だったかもしれない」



何かそんな風に考えることが多かった。



でもこの間ふと、意味もなくふと思ったんです。



「もし違う選択をした自分がいても、幸せになっていたらいいな」と。



そう思えたらいいな、と。



自分が選択肢なかった人生も幸せであればいいなとふと思ったという話です。



それが何ってこともなく。



地下鉄のホームを歩いていたらふと思ったんです。



そうしたらどんな選択でも結局幸せであるんじゃないかと都合よく考えてみて。



もう自分で決めた道なんだからやるしかない、みたいな追い込みすぎた自分が少し柔らかくなるような気がして。



どの道選んでも幸せなら、まあまた道を変えればいいじゃん。



だってどれでも幸せなんだから。



って考えに行きつくかどうかは知りませんが、まあふと思ったわけです。



そしてまた長くなっちゃったからここでお終い。



寝ることにします。



おやすみ。



では、おしまい。

りうへい。

「おやすみ」



父親に向かってすごく久しぶりに言いました。



親孝行と思って戻った実家。



それももう3,4年前。



当初は1年くらいで彼女でもできて、出ていくことになると思ってましたね。



全然予感なし。



まあ、それは置いておいて。



いつからか「おはよう」も「おやすみ」も言わなくなったな。



最初は照れ臭いってことからだと思おうな。



両親のこと「ねぇ」って呼ぶようになったし。



最近平日は会えないし、休日も全然会話してなくて。



今日遅くに家着いたら父親が起きていて。



一緒に食卓テーブルについたから。



何となくたわいもないこと話して。



何かそれが自然で。



毎日学校や友達と色んなことを目いっぱい話してた頃を思い出して。



今日はどちらかというと聞き役だったんだけどさ。



食べ終わって自分の部屋へ戻る時に、ちょっとだけ引っかかる気持ちはあったんだけどさ。



少しでもそんな気分になったり、いいこと(一般的にはごく当たり前)を素直に出来るならやろうって思って。



もう20年近くぶりに「おやすみ」って言ってみました。



そんな言いごこちの悪さと、すがすがしさの両方を感じてた息子とは対照的に。



ごく自然に「おやすみ」って父親は言ってました。



なんだ、あの頃とたいして変わらないな。



自分だけが勝手に年をとったつもりでいたのかもしれない。



父親にとってみれば、たとえ30歳でも息子は息子。子供は子供なのかもしれない。



きっとそうだろうと思いながらも、少しは父親も照れ臭かったんじゃないかとも思う。



僕は父親にだから何となくそんな気がする。



まあ、やっぱり悪くないね。「おやすみ」



そんなことを思った日でした。



おやすみ。



では、おしまい。

りうへい。