「幸福。」

「幸運。」



幸福

「心配や不安がなく、心が満ち足りていること。」

「幸せ」



友達からメールが来ました。


「幸せって何?」


うーん。難しい。


幸せーって何だーっけ、何だーっけ。



人によって定義は異なるんでしょうね。

その人が幸せと思うことが幸せ。月並みですが。



じゃあ、その人にとっての幸せってどうやってわかるのよって話ですよね。



僕は頭悪いんで難しいことわからないんですが。



“幸せ”ってもの自体は断続的というか瞬発的というか。

そのいち時点を差すのかなーっと思ったりします。

そして、それがたくさん高頻度で多種にわたって感じられるようなことが、一般的に望まれる“幸せ”かと。



僕らは“幸せ”という状態を永続的なものとして求めるから、

答えもわからなければ実感もわかないのかなと。



多種多様で小さい“幸せ”を感じたり見いだせたりすることが、

「幸せって何?」の答えを見つけるのに一番いいのかなーって。

その能力そのものが僕らの言う“幸せ”の入り口なのかもしれない。



なので、本来は“幸せ”って望むものでも求めるものでもなくて、

たくさん色んなところに見つけたり見いだしたりすることなのではないかと。

その行為そのものや、その行為によって得られた色んなものが、

結果的に“幸せ”だったと後になって感じられるんではないのかなー。



矛盾するようだけど、僕らが望む永続的な“幸せ”の状態は、

死ぬ時に初めて人生を振り返り、一連のものとしてまとめて実感できるんじゃないかな。



「いやー、幸せだったー。あの世行ってきまーす!!」みたいな。



そう考えればいつか来そうで待ってる“幸せ”よりも、

見つけたり見いだす“幸せ”を今すぐにでも自分から探して感じればいいし。

自分次第で何とでもできるし。



最後の最後で“幸せ”感じたいから、後悔しない生き方したいし。

“幸せ”の頻度を高めたいから、色んなところにアンテナ張るし。軽はずみな行動とりたくないし。



死ぬ間際の自分に自信を持って、「待っててくれ!!幸せだったーって言わせてやるぞ!!」って言いたい。



かなり思いつきで書きなぐったので意味不明かもしれないですが、

長いから読み返すのも止めておきます。考え変わったりして・・・。




では、おしまい。

りうへい。