叔母が亡くなった。

今年の3月に施設に入所したが、そのときはすでに意識不明。

1月には意識があったのに、2月にはもう突如悪化自宅療養中

の出来事だった。ここまでは特にどうということはない。

どこにでもある話だ。

 

私は叔母とは最近疎遠であった。というのも私の生き方にいちいち

干渉するようになり、疎ましく思っていたからだ。

だから見舞いにもあまりいかなかったが、あるとき身の回りの世話を

している親戚から、「どうも最近具合がよくなさそうだ」という話を聞き

介護施設に行ってみた。

ちょうど点滴の最中であったが、意識はあったし呼吸もしていた。

私のことはわからないようだったが、耳ははっきり聞こえているのだという。

それから1週間して、電話があり今度は危篤だという。

 

行ってみると本人はかすかに息をしながら、ぐったりしていたが

なぜこれが危篤なのだろうと思った。

部屋には私のほかには誰もいなかった。

叔母には子供や孫は誰もいなかった。

甥,姪はいるが私が比較的、近いところに住んでいる親族といえる。

しかし、事情があって疎遠であった。しかしなぜか臨終前に立ち会うことができた。

とはいってもほんの数分目を放した隙に、「今なくなりました」と

携帯に連絡が入った。部屋に行ってみると、死後の処理をしていた。

しばらくして対面したが、死顔は安らかであった。

最後に会ったのは2年前だったが、そのときは「また来てね。」だった。

それが臨終になるとは、私も予想だにしていなかった。

施設にはいる前は、かなりわがままになっていて介護人をかなり困らせて

いたらしい。

 

ここで思ったのは、叔母は私には結構口うるさくて、うとましかったが

もしかしたら頼りにしたかったたのは、私ではなかったのか?

仏のご加護か神の手かはわからないが、叔母の魂が私をこの場所に

呼んだとしか思えなかった。いくらなんでも偶然すぎる。ほかの親族は誰もいない!

いやそう思うことが、私にはいくらかの救いにはなった。

私は仏教徒でもキリスト教徒でもないが、人間の魂は死後もしばらく

生きているのではないかと思っている。

 

 

叔母は自分の人生や自分の宗教に相当な悩みをもっていたことが

あとでわかった。墓をどうするかも決まっていない。(あとで永代供養の希望が判明)

思えばまったく気の毒な人生ではあったが、葬儀もきちんととりおこない

あとは、埋葬をどうするかだけだ。

手厚く葬ってあげなければいけないであろう。  合掌