環境や身の廻りの事や物
すべて自分の為にあるなんて思ったら
豚にしちゃうぞ  by湯婆婆

全ては自分の為にあるんじゃなくて
自分が全ての一部を担っている

理解できても実感し現実に落とし込むのが難しい事って多い

植物や微生物や動物とか、何となーく命を感じるものと向き合った時にはイメージしやすくて感謝を実感する人も多いと思うけど物に至ってはどうだろう?

年末に面白い経験をした

大掃除で窓ガラスを磨いている時に、窓ガラスがめっちゃありがとうって言ってきた
『え?こちらこそ!いつもいつも雨風凌いでくれてありがとう』え?えー?窓ガラスが⁉️
植物や動物のはなんとなく分かるけど、まさか物質までも⁉️とびっくりして、急に愛おしくなってしまって窓ガラスをゴシゴシからヨシヨシに😂

あー!八百万の神って言うしね!二重スリット実験でも観察したら形変えるしね!すべてに神が宿るよね!と凄く納得した

そんな目線で周りを見渡したら、全部神さまやん❗️ってひとりであーね!あーね!と興奮した

興奮して、会う人会う人にこんな事言ってたら
アホかと思われた😂
伝わってそうで伝わらないなんて事もあった

そんな中ちょうど例えになりそうな話題が!

いただきものの調理道具で氣に入っていないけど、そうそう壊れる物でもなくて、使うたびに微妙な氣持ちになると。

今、断捨離やら、持った時ワクワクするものを!みたいな風潮があって
それも一理あると思うけど…
空いたスペースに新しいものが入ってくるとは思うけど…
それって意図的にする事とも違う氣がしてて…

人も物も環境も自分と波動が合わなくなれば自然な流れで変わっている事はよくあって

今回の会話の中では違和感を感じた

そこに物そのものでは無くて『感情』がのっている事が微妙な感じがする原因なんだろうなぁと感じちゃうから

その調理道具は、料理を作る為の物

それが役目

自分の脳みそが作り出した感情を
物のせいにして、その物自体を嫌いになってないかな?

八百屋の神。すべての物に役目があるんだとしたら自分の感情でその役目を邪魔してないか?

『すべての物には神さまがいるよ!』なんて伝えても
『あー!いい事も悪い事も自分の氣付きになるからね』と矢印が自分の方しか向いてないえーん


そうじゃないのショボーン
世界はすべて自分で作っている って言うでしょ?それは、その感情や意識の部分を自分で変えれるって事

じゃあ隣の人も自分が作っているの?って疑問に思った事ないかしら?
隣の人は隣の人が作っていて、みんなのそれは別々でひとつ

それは私達が全ての一部だって事

そしてそれぞれすべてに神さまが宿ってるとしたら、神さまが役目を果たすお手伝いをしてるという事

それを忘れて
それぞれの役目を無視してるのに
自分の使命は何だ?って探しても…ショボーン

野菜には野菜の
調理器具には調理器具の
炎には炎の
水には水の
それぞれの役目を大切に使い新しい形を生み出す

自分が感謝するだけではなく
次へ渡す

神さまのエネルギーの循環
その循環の中で生みだした物も神さまって事になる
料理、うた、絵、色々なエネルギーに自分の感性が加わったらアートになる

もちろん自分自身もアート作品だし神

だってすべてを構成するひとつだから
矢印を自分の方に向けてなくても
結果的に自分の為になってる


神さまの概念は人それぞれだけど
神さまにすがったり、自分の為にあるなんて思っちゃうと循環がとまっちゃう

感情に振り回されるなら
自分好みに作り変えちゃえば良い
それは自分の作り出す世界



目の前にある

笑顔でできる事

それが役目だよ


遠くを見ないで、目の前の事をひとつづつしてると必ず次のアイデアはおりてくる


自分に必要な事が目の前に現れる

それが引き寄せ


だから迷子にならないで大丈夫

すべてはオールオッケーちゅー