最近、お酒の量が減った。というか、意識的に減らしている。
喉の調子がおかしいのだ。
でも、今日は、呑んでいる。
明日が、夜だけ仕事というのもある。
とにかく、今日は飲もうと思ったのだ。
今日は体調が良かった。
最近は、日によって体調に波がある。
その波は、今年は振れ幅が大きい。
というか、調子が良くない方の振れ幅がかなりあることが、
よくわかった。
今日など、外出しての感覚や、仕事場に来ての感覚、
仕事をしているときの感覚が、
昔のそれなのだ。
そう、元気なのだ。
それを感じるとともに、
いつもは、やっぱり普通じゃないのだ、と感じるのだ。
普通じゃないのが普通となり、普通に元気な時に、
普通じゃなかったことを感じるのだ。
いつまでも同じことが続くことはないということだ。
いつまでも若いつもりでいても、確実に歳月が過ぎ、
確実に、身体の衰えが進んでいる。
最近は、身体のケアと、鍛えることの大切さを感じている。
いつまでもこの仕事があるということはないこと、
あったとしても、いつまでも同じように働けることはないことを、
いろんな事情によりそうなっていくことを、
薄々感じている。
そろそろターニングポイントを迎えるような気がする。
テリーが亡くなった。
いつか来るだろう日であることは、頭ではわかっている。
それは、猪木が亡くなった時もそう、祖母が亡くなったときもそう、
だが、実際にその時がくると、
正直言って、よくわからないものである。
死とは何か、改めて考えさせられる。
そして、猪木やテリー、祖母という、最近の出来事のたびに、
よくわからないが、感謝の念が浮かぶのである。
死とは、そういうものなのかもしれない。
三沢もそう、橋本もそう、そして、最愛の叔母もそう。
もちろん、予期できないことも、ある程度覚悟できていることもあるが、
昔は悲しさが先に立ったが、どうも最近は、
ジワジワと感謝の念が立つ。
死とは、他者から見れば、そういうものなのかもしれない。
自分が死ぬ時に、悲しさよりも、感謝の念が、
他者の中に沸き立つであろうか。
それは、無論、自分にはわからないし、
自分が決めることでもなければ、
要求したり、望んだりするものでもない。
死とは、悲しいものではないのかもしれない。
いろいろなレスラーの個性はあれど、
テリー・ファンクは唯一無二の個性で、
他には代えられない個性だったろう。
僕がプロレスを見出したころは、すでに全盛期を過ぎていたかもしれないが、
全日本プロレスにザ・ファンクスと、
スピニング・トー・ホールドは確たる存在としてあった。
最強タッグも、ニック鶴田徳光さんのAWAも、
ディンク君がやられたときも、そこにはテリーがいた。
そんなテリーが、2023年に、亡くなった。
とにもかくにも、今日は、
この曲と一杯酌み交わそう。
10日ぶりの酒は、テリー追悼の酒だ。
もちろん曲は、
クリエイション、スピニング・トー・ホールドである。
もちろん、テリー・ファンクは、
永遠、Foreverである。