今日は三沢光晴メモリアルリハ、
と題して練習を行いました。
前にも書いた記憶がありますが、
この6月というのは、毎年三沢を思い起こす月です。
亡くなったのが6月13日ですが、
誕生日も6月18日、
そして、あのジャンボ鶴田からピンを奪ったのも、
忘れもしない1990年6月8日です。
天龍らの大量離脱によって、
創設以来最大の危機と言われた全日本プロレスを、
虎の仮面を脱いでのニューヒーロー三沢光晴が、
先頭を切って救うことになる。
その、大きな転換期の試合は数あれど、
1990年6月8日のジャンボ鶴田戦、
そして、1992年8月22日の三冠奪取は、
この2試合は、非常に大きな分岐点だったはずです。
そんな三沢が、2009年6月13日、
試合中の事故により死去、
あれから、実に13年もの月日が流れたことになります。
先のブログで、
全日本プロレスのエースは絶対にジャンボ鶴田と書きましたが、
三冠王者と言えば、三沢光晴が最もしっくりくる、
そんなファンも、少なくないはず。
僕は少なくとも、三冠と言えば、絶対に三沢です。
と、三沢のWikipediaを見ていたのだが、
なんと!!
『三沢の母親は「樹」という文字が好きだったため「秀樹」と名付けるつもりだったが、父親がそれを無視し、当時のテレビドラマの主人公だったという「光晴」名で勝手に出生届を出してしまったため「光晴」と名付けられた』 Wikipediaから抜粋
とあるじゃないか!!
ひょっとしたら、私と同じ名前になっていたかもしれないのか!!
ひょっとしたら、私がどこかの三沢家の養子にでも入ったら、
同姓同名になっていたかもしれないのか!
ということは、
私がミスター三冠になっていたかもしれないのだ!!
・・・最後の一文だけは、明らかな誤りです。
お詫びして訂正いたします。。
その後のWikipediaにも、
「幼少期の三沢は木戸修に似ていて・・・」
などとは全く書かれていないので、
やっぱり私と似ていることはなさそうだ。。
そんな三沢を思い出す6月だ、毎年そうだ。
三沢がいなかったら、
これほどまでに熱い高校生時代を過ごしただろうか。
そして、三沢がいなかったら、
今のバンドをやっているだろうか。
これだけは必ず言えることだが、
あの、高校生時代の熱狂があったから、
今のMonkeyFlipの活動があると思う。
それは確実だろう。
そして、明日がもう、命日・6月13日。
この日だけは、このバージョンを耳にすることにしている。
ジャンボ鶴田とともに、永遠に、心の中で生きています。
三沢光晴は、永遠です。