個性と定石 | 酋長のブログ

酋長のブログ

日々のあれこれ思うことをつづります。

今日は夜の授業が休講になり、
もうすでに帰宅しました。
ラクちん♪

昨夜は熟睡できず睡眠不足だったので、
今日は助かりました。
寝れるときと寝れないときがあって、
何がこうさせるのかよくわからんです。
一時期のような変な動悸はなくなりましたが。

ネットのアメブロニュースで目に入った、
「関根麻里、代打MCは小林○○」

かすんだ目で見ていたからか、
小林邦昭に見えたような気がして期待したのですが、
よく見たら小林麻耶とわかって残念無念。
てっきり初代タイガーのマスク剥ぎをしてくれるのかと思ったのに。

そうそう、
ネットのニュースを見ていると、
高校野球の球児を見たアメリカのスカウトが言っていたことに目が留まりました。
みんなバッティングフォームが同じだというのです。

「よく言えば洗練されている。でも自分(米国人スカウト)たちからすると個性がない。個性とは好き勝手という意味じゃない。10人いれば10通りの体格、筋力の違いがある。ならそれぞれ異なったフォームを模索するのが自然。ところが日本の高校生は画一的な体の使い方、動きが多い」彼は問いかけつつも、答えを知っている。つまり高校の指導者が、強い影響力で選手たちを指導しているから。要は、「型にはめている」と。
(デイリースポーツのネットニュースより抜粋)

画一化はある意味で日本のお得意とするところですね。
そうする利点は多々ありますが、
そうすると結局、きしみや歪みも生じます。

物事に例外はありません。

数多くのサンプルでの総合的な成功率を高めるには非常に効果的ですが、
ひとつひとつを見たときに、
必ずしもそれが良いとは限りませんし、
魅力が削がれかねない。

これは、いろんな分野にあてはまることと思いますし、
いろんな人間がいるのですから、
当然の話だと思うのです。

確かに、先人が築いたものに理はあり、
定石は存在しますが、
一方で、ひとつひとつの事例は、
その時々にしか存在しない事例であり、
それをある型にはめて安心していては、
うまくいくいかないの話だけでなく、
つまらないと思うのです。

もちろん効率化にはマニュアルは必要で、
現実問題としてそうせざるを得ない面はあるでしょうが、
マニュアルとはある表層にあるもので、
その表層の元になっている奥底にある本質を見ずして、
物事を考えたり進めたりすると、
あるときに間違いが生じたりする云々だけでなく、
つまらないと思うのです。

ちなみに、
私の経験から言うと、
素人の私がライヴのMC(進行)で、
自分自身の中にあるそれまでの型にハメようとしたときは、
ある意味でラクですが、
うまくいくかどうかは別として、
大概、
面白くありません。
自分でさほど面白くないパフォーマンスだと思っているときに、
見ているお客さんは魅力を感じるでしょうか。

確かに定石は大切ですし一理ありますが、
なぜそのような定石となっているか、
本質を考え、
ひとつひとつの個から考えを派生しないと、
面白くないよね。

マニュアル化の毎日でいいなら、
今の仕事や趣味はもってません。
自分は自分なので、
自分ができないことはできないし、
自分ができることを最大限に発揮する努力をしたいものです。

でも、
定石は大事ですからね。
そこが、
「個性とは好き勝手という意味じゃない」
のひとつの意味ではないでしょうか。
自由が、好き勝手という意味ではないのと似ているような気がします。

ここも結局、
バランス感覚が大切なのかもしれませんね。