ビル・ロビンソンが亡くなりました。
その勇姿をリアルタイムではあまり見たことはないのですが、
ビル・ロビンソンと言えば、
天龍を思い出します。
1981年7月に行われたインタータッグ戦。
馬場&鶴田組VSロビンソン&ディック・スレーター組
というカードの予定でしたが、スレーターが負傷欠場。
代わりに天龍がロビンソンのパートナーとして抜擢されます。
天龍源一郎著『七勝八敗で生きよ』によると、
天龍自身がスレーターの代わりに自分はどうかと、軽い気持ちで言ったらしい。
1試合のために外国人を呼んでお金をかけるなら、自分がロビンソンと組んだらいいんじゃないかって、言ったらしいです。
天龍はこの試合後に、再びアメリカに行く予定があって、
気持ちは完全にアメリカにあったらしい。
さらに、ロビンソンが天龍と組むことを快諾し、
しかも熱心に指導してくれたと。
ロビンソンのアドバイスだったんですね、延髄斬りや卍固めを天龍にやれって言ったらしい。
でもこれらの技は猪木の技だから天龍は最初拒んだらしいんですが、
ロビンソンが「気にしなくていいからどんどんやれ、後はオレが全部フォローする」って譲らなかったらしいんです。天龍もどうせアメリカに行くから、好きなことやろうとなって、
試合でいろいろやったらしい。
それが評価されて、天龍のきっかけとなって、天龍同盟のとっかかりにもなったらしいです。
天龍がもう少し日本でやってみようかなとなって、現在に至るようです。
だから、ロビンソンがいなくて、しかもスレーターがケガをしていなかったら、
天龍はアメリカを主戦場にしていたかもしれないし、
アメリカ人と結婚してアメリカに定住していただろうと天龍は書いています。
「巡り合わせって不思議ですよ」
そう、天龍が書いてますが、いやほんとそうですよね。
これは、レスラーだけでなく、
我々にも言えることで。
ロビンソンから話がそれますが、
私もね、乗せられたレールに沿って人生を歩んでいたら、
おそらく誰かと結婚して、今頃こどももいてると思いますね。
で、MonkeyFlipはなかったと思うんですね。
私が脱線したから、メンバーと出会い、MonkeyFlipをやることになり、
さらにいろんな方と知り合えたと、思うんですね。
私はまだ結婚していませんが、まだ安定もしていませんし、
それらを手に入れている方をうらやましくも思ったりしますけど、
人生ないものねだりですからね。
そうなると今の活動はないですからね、たぶん。
これでよかった部分もあるし、
これからの頑張りで手に入るものもありますからね。
そうなれば、真の意味で、これでよかった、いや、これがよかったと、
思えるでしょうし、そう思える日を作らないといけないですね。
話がそれました。
私の好きなレスラーを言えと言われたら、
天龍源一郎と小橋建太と言いますが、
その天龍が日本でこれだけ魅せてくれたのが、
ビル・ロビンソンによるところもあると思えば、
この死は、何か考えてしまいますね。
確実に日本のプロレス界に多大な影響を及ぼしたレスラーです。
お疲れさまでした。安らかにお眠りください。
Blue Eyed Soul(ビル・ロビンソンのテーマ)