「優」という漢字は、好きな漢字のひとつです。
優勝とか優秀とかが熟語ではよく出てきますが、
そうじゃないんです。
やっぱり、「優しい」という意味で好きなんですね。
Slownet「感じの漢字」から抜粋させていただきます。
「「優」は、ニンベン(イ)と“憂”が組み合わさった字です。
…中略…“憂”も心が塞いで、…元気がない様子を表しているのです。
そんな“憂”な状態の人の傍で、「大丈夫?」と人が立っている姿、これが「優」の語源です。
「優」は人を思いやったり、気遣ったりできる人のことを表しています。
優秀・優美など成績が良かったり、
姿が美しかったりことを意味する熟語に多く使われていますが、
本来は目には見えない“心の美しさや素晴らしさ”を表した字なのです。
昨今、“憂”の人がたくさん増えているというニュースを耳にします。
こんな世の中だからこそ、“優”の語源をもう一度考えてみてはどうでしょうか。」
この「目には見えない“心の美しさや素晴らしさ”を表した字」というところですね。
そのような人になりたいと思うものです。
人を思いやったり、気遣ったりできる人。
私には私なりの持論があって、
本当に優しい人って、日々のつらい思いや苦労をされてきた人のような気がするんです。
誰もが日々、その程度の差はあれど、
何らかのつらい思いや苦労をしているはずです。
でも、ただつらい思いや苦労をするだけではなくて、
そのしんどいことを、自分の中で正しく消化し、次に進むこと。
正しく消化するというのは、
うまく言葉には表現できませんが、
ひがんだり、ねたんだり、突っ張ったり、人のせいにしたりするのではなく、
無理な我慢はしないけど、謙虚にふりかえり、
良いこと悪いことをバランスよく整理してあげること、
という感じかな。うまく書けませんが。
それには、時間がかかることもあると思うけど、
そうやっていろんな苦労を確かに消化していく人が、
優しい心をもっていくような気がするんです。
人生うまくいってばかりでは、
人間というのは愚かな生き物ですから、
何も人間的に成長しないのが普通だと思うんですね。
そして、人間的に「優」れている人、「優」しい人、
同じ「優」という文字が使われているけど、
根源は一緒で、そのような心をもって「人を憂うことのできる人」、
というのが本当に優れている人で、優しい人ではないかと思うんですね。
いつぞやのプロレス年間大賞の選考において、
最優秀選手に鶴藤長天や闘魂三銃士、四天王その他ではなく、
当時すでに第一線から退いていたジャイアント馬場選手に一票を投じた記者がいました。
その選考理由、この一言が今でも記憶に残っています。
「馬場さんが一番優しいから」
本当の「優」は、地位や名誉など形で見える素晴らしさは関係ないと思います。
「目には見えない“心の美しさや素晴らしさ”」をもった人が「優」の人でしょうから。
パッと一目で惹き付けられるような一般的な容姿の良し悪しも本来は関係ありません。
でも、そのような「優」の人は、
何か内面からにじみ出る本当の「優」しさが、
どこかお顔や雰囲気に出ているような気がします。
馬場さんもそうだったんでしょうね。
私の人生の究極の目標は、魂を磨いて「優」の人になることですが、
全然まだまだです。
まだまだ私の魂は泥だらけ。
日々、磨いていかねばならないのです。