MonkeyFlip10周年を前に | 酋長のブログ

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日々のあれこれ思うことをつづります。

朝晩が肌寒くなってきましたね。
いよいよ秋になり、年末に向かっていくのかなと、
夜長にいろいろ考えてみます、完全に真夜中ですが(笑)。

プロレステーマ曲専門バンドMonkeyFlipが遂に10周年を迎えます。
いろいろ考えてみると、自分ひとりについて考えてみても、
もうこれには流れがあって、
その流れにうまく乗せていただいてここまで来たというしか、
説明がつかないように思います。

物事には流れというものがあると思います。
流れがあるときは、大概のことがうまくいく。幸せ。
流れがないときは、大概のことがうまくいかない。幸せでない。

もっと言えば、
流れがあるときは、実力以上の結果が出る。うれしい。
流れがないときは、実力以下の結果が出る。かなしい。

ある程度、自分の身の丈がわかっていれば、
そのとき自分の身に起こることが、
出来過ぎと感じたり、その逆と感じたり、
ということが、客観的に、自分をおおよそ正当に評価できるはずで、
そういう意味で、やはり、
自分というものを知ることが大切なんだろうと思います。

人間は自分の中に、自分の身に起こることに対する判断を下す上で、
無意識に引いているある一線があるのかもしれません。
この一線を上回れば、運が良い、うまくいっている、報われた、納得、満足、幸せ。
この一線を下回れば、運が悪い、うまくいかない、報われない、不服、不満、不幸せ。
その一線を引いていれば、ひとつの基準としてそんな判断材料になるでしょう。
でも、その一線は、妥当な基準になっているのかどうかはわかりません。

この一線は、
自分の今の実力に見合ったものであるか、という面がひとつあるでしょう。
その意味では、どちらかといえば現実的な線を引くことが多いような気がしますが、
この一線というのが、
低ければ、向上心がなかったり、努力する上での推進力にならないかもしれませんが、
ある意味ではラクでしょうし、苦しいことはないかもしれません。
高ければ、向上心があったり、努力する上での推進力になるかもしれませんが、
ある意味ではラクではないでしょうし、苦しいことかもしれません。

いずれにせよ、この一線を引くには、現実的には、
どのくらいの「欲」があるか、ということだと思いますし、
高すぎても低すぎても、良くないのかもしれません。

うまくいったこと、うまくいかなかったこと。
この2つの場合のうち、
どちらのことの方が印象に残るかというと、
どうしても、うまくいかなかった方ではないでしょうか。
それは、うまくいかないときは自分の「欲」が満たされないからで、
それは、人間は多くが自分の中に「欲」というものが渦巻いているものだと思うからです。

自分の実力以上の恩恵を受けたり、
自分の努力以上の結果が出たりすることは、
どちらかと言えば、単純に気分がいいはずです。
それがとんでもなく良いことが起きて気持ち悪くない限り。

でもその逆のことが起きたときは、
「自分だけがうまくいかない」
などと思ってしまうこともあるかもしれません。
でも、そんなはずはないと思います、大きな流れで総合的に考えた場合。
みんなが同じく平等であるとは言いませんが、
ここには、ある意味ではあらかじめ定まった「運」というものがあるのではないかと思うのです。

私は、ある意味では運命論者?なのかもしれません。
前にも、
自然の大きな流れの中を、
ちっぽけな人間が流れを変えようとするのは、
畏れ多いことではないか、と記したことがあります。
今でもそう思います。

これは別に、
生まれつき運の良い人間、運の悪い人間がいると思っているということではありません。
運や流れは「巡っている」と思っているということです。
運や流れは変わるものだと思っています。
そしてそれは、その人の行いや、選択によって、「枝葉」は変わるものだと思うのです。
こう言うと、ひとりの人間が流れを変えていると捉えられるかもしれませんが、
そうではなく、流れの「幹」までは動かせないが、「枝葉」は何か変わるかもしれないと思っているということです。
あくまで「変える」のではなく、「変わる」ということで。
これは、ある意味では希望も込められているかもしれませんが。

なので、
うまくいくときには、謙虚さをもちながらも、
その運や流れを最大限に利用すればいいと思いますし、
うまくいかないときは、くさったり八つ当たりすることなく、
じっと耐えて「待つ」ことではないかなと思います。

で、努力というのは、流れが来たときに報われるもので、
いつのときでも続けることが大切なのではないかと考えるのです。
そして、何らかの勝負事や賭けをするなら、
その流れや運を感じて、
流れがあるときに行動に移す、
ということが良くて、ある意味では自然に沿っていることではないのかなと思うのです。

でも、ずっと努力することもしんどいですよね。
また、欲がありすぎてもいけないし、なさ過ぎてもいけないし、
現実的には難しいことだと思います。
私も、何かといつでも高望みしてうまくいかないことは多いです。
怠けるときもとても多い。
流れがあるとかないとか、そう簡単にわからないし、
うまくいかないときも我慢できずもがいてしまいますしね。

でも、少しだけ、流れを感じることができるようになって、
流れがないときに少しずつ、じっと我慢することができるようになってきたかなあと、
ちょっとうぬぼれてみます(笑)。
欲が深いそういう現実的なことから、流れや運のようなものまで、
結局は自分を知ることが大切なんだろうなとは思います。

で、ここが重要だと思うのですが、
他人と比較してはいけない、
と思うのです。
誰一人として自分と同じ人間はいませんし、全く同じ流れの人間もいないと思いますし、
誰もが自分というのは自分でしかない、ひとつの大きな個だと思うのです。

確かにいろんな人の意見を聞くことは「参考」になりますし、
自分の考えを決めても、それを頑なに変えないのはよくありません。
特に先人の意見というものは、その判断材料となる経験の絶対値が自分よりも多いわけで、
何かの理に叶っているはずです。
でも、考えなしに誰かに追随するのではなく、
自分というものをよく考えて、欲を持ちすぎず、
歩んでいくということだと思うのです。

とかく一般的な幸せが自分にも幸せであるかのように、
錯覚してしまいがちですが、
そうではなく、
もっと人生というのはそれぞれが深く味わいがあるものではないかと思うのです。

人間はいつの時でも基本的にないものねだりで、欲はつねに渦巻きますが、
他人の幸せは必ずしも自分の幸せにあてはまるものではないということは、
流れや運というものが、人それぞれで絶えず変化するものであって、
何一つ同じものがないというものだとしたら、
それである程度説明がつかないでしょうか。

プロレスのテーマ曲を専門に演奏するバンドは他にもあるでしょうし、
そんなバンドの中にはもっと他にうまいバンドがあるでしょう。
別に奇をてらって人と違うことをしているつもりは全くありません。
人と違おうが同じだろうがそれは問題ではないと思います。
他がやっていないから合体テーマ曲を演奏するわけではないのです。

ただ、自分が好きなことを貫いているというだけで、
その意味でMonkeyFlipには納得しています。
そしてそれをやれているのは何より流れがあったからで、
その流れに乗せてもらって、それだけで幸せを感じます。
いくら自分がやりたいことでも、流れがなければできませんから。

そう思うと、
これは自分だけの力では作れない流れですから、
いろんなものに感謝するほかはないのです。
でもまだ、やれていないこと、やりたいことはたくさんありますので、
わがままが許されるなら、流れがある限り、
やれることをやってみたいと思っています。

文章長すぎ(笑)。失礼しました。
おやすみなさい。風邪をひかないように気をつけましょう。