横綱昇進基準 | 酋長のブログ

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日々のあれこれ思うことをつづります。

大相撲名古屋場所は白鵬26度目の優勝で幕を閉じました。
千秋楽はなんだかトーンダウンする内容で、
物足りなさが残りました。

さて、稀勢の里の綱取り云々でいろんな話になっていますが、
個人的には、ずっと記しているように、
まだ綱取りは早い、そう思っています。
それは、いろんな意味で、まだ機は熟していない、
そう思うからです。
個人的には来場所も全勝したところで綱取りなんて考えられません。
全勝するのは限りなく難しいでしょうけど。

で、そこで、横綱昇進基準について今日は記したい。
今場所は、確かに理事長や周囲が言うことが、
場所初めは「14勝以上での優勝なら横綱」だったのが、
「13勝でも内容次第」「両横綱を破っての12勝なら来場所綱取り」など、
場所中にどんどん変わっていきましたが、
これを公にしたのは良くないと思います。

場所中に考えが変わるのは仕方ないとしても、
(それにしても考えが変わり過ぎだとは思うが…)
それを公で言うことが良くないと思うのです。

以前、稀勢の里の大関昇進だったかな、
千秋楽を前に「確定」の話が公に出ちゃったんですよね。
で、確か稀勢の里は千秋楽は負けたような気がするんですが、
そういう話は15日間全て取り終えてから、
話を出すのが筋だと思うんです。
他にも最近、千秋楽を前にしてそういう類の話が出たことがあったと思います。

前々から思っています、こういうことは。
なぜ我慢できないのだろうかと。
もっと忍耐をもってほしいと怒りさえ覚えます。

話を戻しますが、
場所中に考えが変わることは、
半分致し方ないと思うんですね。
で、今回記したいことはそういうことではなくて、
言いたいことは、

明確な横綱昇進基準など、作る必要はない。

ということです。

目安というのは、作るというか、
存在しても良いでしょう。

目安と基準は全く異なるものです。

目安というのは、人が作った基準ではなく、
これまでの例で推測されるボーダーライン、
というものだと思うのです。

ですから、よく大関昇進には「直近3場所で33勝」という「目安」がありますが、
これが基準ではないことは、
稀勢の里が32勝で大関に昇進したことでよくわかります。

もっと言えば、
基準を明確にしなければ気が済まないのか?
あいまいなもので成立するような風土はないのか?
ということです。
大相撲というのは、日本の風土に培った、
日本の伝統があるものだと思うのです。
昔から、そんな二者択一のような基準で成り立ってきたのでしょうか?
そうは思えません。日本です。

確かに、基準を作れば、悩む必要はありません。
「2場所連続優勝」とか「3場所40勝」とか、
非常にわかりやすいですが、
果たして、それは全て過不足なく横綱としてのあるべき姿を現しているのでしょうか?

「過不足なく」
というところがポイントです。
どんな基準を作っても、絶対にそんなことはないはずです。
それは、物事には必ず例外が存在するからです。

そもそも、横綱というものには、
成績だけではない理想像があるはずですし、
成績にしても、その時の状況によるでしょう。
稀に見る強い横綱が存在すれば、その中で続けて好成績を挙げることは至難の業で、
周りが弱ければ、その中で続けて好成績を挙げることは、やや易しくなるでしょう。

そんな中で、明確な成績基準を設けて横綱を作ってしまうと、
それは「大相撲が認める横綱」といつか必ず矛盾が生じるはずです。
杓子定規な基準で、
いいはずがないんです。

では、あいまいで良いのか?
私は、あいまいな目安で良いと思っています。
というか、大切なのは明確とかあいまいとか、
基準とか目安とかではなくて、
横綱をつくる周囲が、良識ある判断ができるかどうか、
もっと言えば、総合的に多角的に、
その時の情勢や巷の風や全てを加味して、
ちゃんと考えられるかどうかだと思うのです。
それが、横綱審議委員会のあるべき姿だと思うのです。

日馬富士が横綱に昇進して本当に良かったかどうかなどは、
最終的には本人の精進にかかるもので、
今になってはなんとも言えません。本来は。
ですが、今ではなく、
あの横綱に昇進させた時に、
ちゃんと周囲が考えたかどうか、ということです。。
2場所連続で優勝したから、横綱に上げないといけない、
なんて、そんな基準が存在したら、

考えなくていいじゃないですか!

考えなくなるのがいけないんです。
いや、もちろん、その当時は熟慮されたとは思いますが、
どうしても、2場所連続で全勝優勝してしまったから、
「横綱昇進ありきの熟慮」だったのでは?
と思うのです。

稀勢の里に関しては、基準云々ではなく、
周囲の我慢のなさが今一番の問題だと思うので、
ここの本題からは逸れますが、
いずれにしても、あいまいな目安の中で、
ちゃんと稀勢の里という力士を、
総合的に、そしてある意味で絶対的によく考えて、
本当に横綱としてふさわしいのか、
焦ることなく、判断されてほしいと思うのです。

その上で、ダメ横綱になったら、
もうそれは本人の問題ですから。
そうではなく、
本人が頑張る前に、
周囲が稀勢の里をダメにしてほしくないのです。

期待があり過ぎるのはわかります。
もちろん私も期待しています。
でも、期待しているからこそ、
我慢することが周囲の務めではないか、そう思うのです。

「来場所何勝で横綱」「優勝すれば横綱」
確かにそういうプレッシャーを与えて、
それをはねのけることができるかどうかで、
その力を見定めることも一考ですが、
時期尚早の段階では、
そんなものは心の中にしまっておいてほしい。

じっと我慢して、稀勢の里という力士の本来の姿を、
見定めてほしい、見定めたいと思うのです。
その上で、機が熟したときに、稀勢の里に横綱に昇進してほしいのです。
そこには、なんら明確な基準など必要ないと、私は思うのです。