全日本プロレスのこの季節は、
なんといっても、
チャンピオン・カーニバル!
ですね。
春のシングル総当たりリーグ戦。
2ブロック制でやったり、トーナメントでもやったことがあったけど、
この過酷な1ブロックによるリーグ戦が、ものすごかった。
毎日、全国のどこかで公式戦が行われ、
「昨日は広島で三沢VSハンセンだったよな、どうなったかな?」
「川田VS小橋、負けた方が優勝戦線脱落、どっちが生き残ったかな?」
などと、毎日そのリーグ戦の行方が気になり、
スポーツ紙(だいたい大スポを買ってた)のプロレス面を友達と気にしていた。
いや、すごい過酷ですよ。
1993年以降は鶴田が、1994年以降はゴディが、それぞれ離脱したものの、
三沢、川田、田上、小橋、ハンセン、ウイリアムスの強力メンバーに、
秋山、エース、スパイビー、パトリオット、ファーナス、オブライトらが加わり、
これらが4週間の間に、全国を転戦し、総当たりでぶつかるとは、
ものすごく過酷、過酷過ぎるリーグ戦だった。
その過酷さに加え、1995年、
三沢は途中の川田戦で、眼窩骨折という重傷を負う。
三沢は前年も序盤に負傷リタイアと、縁起の良くないシリーズに思えたが、
95年の三沢は、その全治3カ月という重傷にもかかわらず、
リタイアすることなく、この過酷なリーグ戦を闘い続けた。
そして、強力メンバー相手に7勝0敗3分という、負けなしで優勝戦に進出。
相手は、リーグ戦では引き分けた田上だった。
1995/4/15 日本武道館
▼チャンピオン・カーニバル優勝戦
三沢光晴 VS 田上明
https://www.youtube.com/watch?v=NCbnH3uipRI
この頃の田上は全盛期と言っていい充実ぶり。
事実、翌1996年には田上自身唯一となる三冠王座を腰に巻く他、世界タッグ、チャンピオン・カーニバル、世界最強タッグ決定リーグ戦とあらゆるタイトル、トーナメントを総なめにした。
そんな田上が相手だけに、手負いの三沢(この表現は当時聞きなれたようなフレーズになってしまっていた)にはかなり厳しい相手。
試合はやはり、三沢が劣勢に立たされた。
中盤には食ってはいけない場外への奈落のど輪落とし、
リング上ではダイナミック・ボムを食らう。
三沢はなんとかカウント2で返すも、あとひとつ大技を食らえば、
さすがの三沢も万事休すかと思われた。
ただでさえ、眼窩骨折という重傷の中、闘っているわけである。
三沢の負けを途中で覚悟したファンも少なくなかったであろう。
しかし、三沢の勝ちを信じ続けたファンも少なくなかったはずである。
三沢は、逆境に立った時に、その本領が発揮される。
いや、本領という生やさしい言葉では済まされない、
何か尋常でない、信じられないような、もはやこの世の人間ではないような精神力で起き上がってくるのである。
俗に、「ゾンビ三沢」と言われていたが、
確かに、我らと同じ人間とは思えなかった。
反撃の突破口は、やはりエルボーだった。
次第に三沢が、やはり起き上がってくる、今度は田上が追い込まれる。
こうなったら、三沢に勝てる者はいない。
最後は、炎の猛虎原爆固め2連発。
特に2発目は、見ていても返しようのないほどがっちり決まっていて、
説得力はハンパなかった。
果たして、三沢は眼窩骨折しながら、
川田、田上、小橋、ハンセン、エースらに一度も負けることなく、優勝してしまうのである。
三沢の尋常ではない凄まじい精神力を物語る試合のひとつとなったこの試合。
1995年、三沢にとって、チャンピオン・カーニバル初制覇の一戦であった。