あしたのジョー(2011)
山下智久さんは
赤いベレー帽をかぶって
前髪をたらし、
香川照之さんは眼帯に
出っ歯の特殊メイクをして
役になりきろうとがんばっていたが、
伊勢谷友介さんはそのままで力石徹だった。
ボクシングシーンのために
プロのトレーナー梅津正彦氏が
本格的に指導したという。
伊勢谷さんは体つきといい、
身のこなしといいすぐにでも
プロデビューできるのではないか。
しかも力石の一番の見所の
減量も実際に行い周囲を驚かせたいう。
原作でもジョーより力石の方が
人気があったりして、
この映画も力石徹の物語ともいえる。
昭和40年代の街並みなど、
原作にかなり忠実に映像化されていた。
よくいえばテンポよく、
長い原作をまとめるので
駆け足でストーリーを追ってる。
今回はボクシングシーンがメインとはいえ、
力石と出会うまでのジョーの半端じゃない、
ひねくれた悪童ぶりが描き足りず、
少年院のところを端折りすぎた感あり。
ジョーと力石との男同士の確執と因縁
(原作では葉子が絡むのですが)
が初見の人にはうまく伝わらないと思う。
対立と決着、前後編としたら、
もっとよかった。
のりちゃんの明るさを
見られなかったところも残念。














































ジーン・ワルツ
「チーム・バチスタの栄光」で知られる
海堂尊原作の医療ミステリーを、
「NANA」の大谷健太郎監督が映画化。
「命とは」「出産とは」この2つのテーマを軸に、
菅野美穂演じる産婦人科医が仕掛けた
秘密を解き明かすと共に、
出産を前に戸惑う4人の女性の戸惑いと苦しみ、
そして希望を描き出す重厚な作品。
その背景に海堂作品に付きまとう医療への不審、
抵抗が加わり、
何層にも入り乱れるミステリーが展開されていく。
だが、
そうかといってこの作品を手放しで
傑作と賞賛することが出来るかと言われると、
そこは大いに困惑せざるをえない。
何故か。物語全体に漂う消化不良の不快感が、
いくら拭っても拭っても消えないのだ。
前衛舞台の台詞回しの如く耳障りな会話の応酬。
肝心の手術シーンに流れる怠惰な会話。
いらない間。
原作の中でこそそれらは活きたのだろうが、
果たして映像に置き換えた上での効果を考えたのか。
そう、
原作のもつ良質なエッセンス、
要素を丁寧に抽出してこそ映画として
完成するはずの世界が、何とか物語を
無駄なく繋げようと原作の台詞を無理に引きちぎり、
取って付けてしまったような乱雑な歪さが鼻につく。
「ラフ」のような良質かつ瑞々しい作品を
作り上げる技量を持つ大谷監督と、
数々のテレビ、
映画で活躍する林民夫脚本のチームならここまで
適当な作り方はしないはずだが、
原作が生まれでてからそれほど時間が経たない、
今このときの映画化。
田辺誠一にキュートな
七三分けをさせて可愛く見せても、
見切り発車の面は拭えない。
それこそ、
産みの苦しみを逃げようとはしていないか。
単なる痛み回避のための帝王切開ならば、
こちらから願い下げである。
毎日かあさん
小さい子供が複数いる家庭はさながら戦場のようだ。
そこに炊事だの洗濯や掃除といった家事が加わり、
それだけで重労働で、
さらに金銭的なやり繰りもある。
それでも主人公のサイバラはまだ恵まれている。
手に職があり、しかも在宅で仕事ができる。
アルコール中毒の夫を持つハンディはあるが、
生活に困ることはなさそうだ。
だからか、
切羽詰まったところがなく
映画としてのドラマティックさに欠ける。
ただ、子供たちがかわいい。
いまどき珍しくやんちゃだ。
そのやんちゃを父親も母親も笑って見過ごす。
そして大事なところは、
やんちゃと自由奔放を混同せず、
人として、してはいけないことをきちんと教えている。
この家族には愛がある。
ある家庭の日々を切り取っただけの
構成で少しかったるいところもあったが、
エンドロールで流れる木村充揮の
主題歌『ケサラ~CHE SARA~』と、
永瀬正敏本人が撮影したスナップ写真が家族の
温かさを豊かに醸し出して、
それなりにうまくまとめられてしまった。
*おまけ
作品中にビールや発泡酒がよく出てくるが、
日本の主要メーカーの製品がオールキャストで登場する。
さすがにアルコール中毒の患者に特定の
銘柄を飲ませるわけにはいかなかったのだろう。
だいいち、どこもスポンサーにはならんわなー。
ママさんたちが集まって
楽しく飲む光景は酒造メーカーへの配慮か?














































