今日は、

結核を患って三十四歳の若さで死んだ正岡子規の命日

「糸瓜忌」です。

子規は死の際に

「糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな」

「を(お)と(と)と(と)ひ(い)の へちまの水も 取らざりき」

という辞世の句を詠んでいます。

当時、

糸瓜の汁は咳止めの薬として使われていました。

子規が病床に臥していた際に綴った随想『病症六尺』に、

「悟りといふ事は如何なる場合にも

平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、

悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」

という一節があります。

死に至る病と向き合いつつ書かれた同書には、

肉体的・精神的苦痛さえも客観的に見つめる冷静さと、

貪欲なまでに生に執着した明るさがあります。

人生には様々な苦難が訪れますが、

「どんなに絶望的な状況でも必ず希望はある」

ということを、

子規はその人生から教えてくれています。

苦難に直面した時こそ、

希望の灯を燃え立たせましょう。

苦しい時は苦しいと自覚し、

そこから自らの中に秘める

「反発心」を呼び起したいものです。