コクリコ坂から
「ゲド戦記」の監督として
知られる宮崎吾郎監督が、
長澤まさみ、岡田准一を
声の主演に迎えて描く、
群像劇。
本作の作り手、
宮崎吾郎は当初、
本作の主人公である海の
原画を企画・脚本の宮崎駿に
持ち込んだところ、
「こんなの駄目に決まっているだろう」と
一蹴されたという。
顔の輪郭も体のつくりもがっちりした女の子・・
宮崎駿でなくとも一蹴するだろうが、
それだけ本作の成功のキーポイントに、
主人公をきちんと描けるかにあると、
作り手の意識は働いていたのだろう。
その重要な役柄を演じることになったのが、
東宝の秘密兵器、
長澤まさみである。
「岳」で見せた柔らかい中にも、
凛とした強さと温かさを内包した女性像に、
久し振りにスクリーンで
輝く長澤の魅力を再確認した。
学生運動の波が吹き荒れる熱き時代、
その中で友情と恋愛に
心揺れる一人の美しい女性・・・
長澤はどんな形で演じきるか。
期待をもって観せていただいた。
本作は2時間足らず、
昨今のジブリ作品にしては
短くまとめられた作品である。
観客はその濃縮された時間に、
壮大なドラマや葛藤、
疾走を期待してしまうが、
その予測は大いに裏切られる。
詳しい事はここでは書けないが、
小さな短編ドラマを繋ぎ合わせて
作られた印象が強い。
「あの頃は、良かった・・」と
当時の時代を生き抜いた方々が
胸を暖める記憶を、
こっそりと耳打ちしたような
秘密の共有が嬉しい、
極めてセンチメンタルな魅力が
発散する佳作である。
大作として観客の度肝を
抜こうとしない作り手の身の丈を
考えた作品といえるだろう。
その中で、
長澤は特異な存在感を打ち出している。
小さな記憶に心が躍る柔らかい世界にあって、
常に感情を押さえ込み、
物語全体の空気とは一線を画している。
まるで、
感傷に浸る劇場を冷静に
引っ張っていく指揮者の如し。
その強さと迫力にこそ、
作り手は期待して主人公の心を預けたのだろう。
単純に、
回顧物語として観客の
記憶に刻まれることを拒絶し、
未来へと前進する力強さと希望を主人公に、
そして彼女を演じた長澤に委ねた
意欲が満ちている一本ともいえる物語。
声もきちんと味わい、
主人公の魅力をしっかり感じて欲しい。
集結せよ、
耳を澄ませ、
長澤まさみが喋っているぞ!!







