$鬼瓦権蔵の心の叫び 言葉遊び


少女たちの羅針盤


「西の魔女が死んだ」などの作品で知られるベテラン、

長崎俊一監督が、

成海璃子、草刈麻有などの若手注目女優を迎えて描く、

青春ミステリー。

ご当地映画は、

ムズカシイ。私自身、

その系統の映画制作に携わったことがあるが、

ロケーションからエキストラ、

台詞にまでご当地ならではの制約が張り巡らされ、

作り手を雁字搦めにしてしまうことが多い。

細かい配慮が配れる作り手が求められる、

特殊な映画作りになってくる。

その点において、

この作品は非常に上質な一本である。

本作の舞台は広島県福山市。

作品中には、

観光スポットから地元ホテルまで、

とことん福山市の売りが練り込まれている。

それとなく、かつ、華麗に。

もちろん、

それだけならば他のご当地映画群と変わらない。

本作の特徴はその題材の選び方。テーマは、

「無名の女子高生劇団の奮闘記」である。

練習場所、台本、舞台まで徹底的に制約が付きまとい、

女子高生を演じる若手女優達を悩ませる。

はて・・どこかで聞いたような。

そう、

この作品は「ご当地映画」

という厄介な映画作りの難しさをそのまま、

作品のテーマに投影させている点に作り手の創意工夫が光る。

困難、葛藤を柔軟にさばき、

伝説の劇団として成功する。

この明解なルートを辿ることで、

本作の意義が浮かび上がる。

「ご当地映画」と聞くと、

「どうせ観光プロモーション映画でしょ」という

色眼鏡が常に観客の念頭に置かれる。

「どうせ、金集め」「どうせ、人集め」。

どうせの予測が陰湿に観客の頭を支配し、

純粋に映画を評価する目を曇らせる。

だからこそ、本作はそんな色眼鏡の払拭に乗り出す。

劇団の成功に、ご当地映画の復権を懸けている。

これは、単なる女子高生劇団の成長物語に終わらない、

観客への挑発と映画の可能性の提示が色濃く反映された作品だ。

もちろん物語の方も、短く、

かつキレの良い台詞を重ねつつ個々の

キャラクターをしっかり浮かび上がらせ、

ミステリーとしての完成度も、

女優達の持ち味をきちんと生かすことも忘れない。

娯楽としてみせる姿勢も適格だ。

特に、草刈麻有の素朴な演技と魅力は思わぬ発見と、

喜びを呼ぶ。

「ご当地映画」という立場を逆手に取り、

観客に訴えるメッセージ性と、

無駄の無い物語というエンターテイメント性。

その両方を一本の映画に昇華させることに成功した、

見事な傑作に仕上がっている。

その堅実な職人技に、

ただただ拍手を送りたい。


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