鬼瓦権蔵の心の叫び 言葉遊び

悲夢



今回は冒頭から実験しておりましたね。

日本語と韓国語のチャンポンが、

なんの説明もなく淡々と繰り広げられ、

この時点で

ああ、オダギリジョーは新たな

フィールドへと足を踏み込んだのだなと思いました。

オダギリジョーのすごいところは、

作品ごとに実験を繰り返すにもかかわらず、

それが突飛でもなければ奇抜でもなく、

作品に必須な要素として

成り立ってしまう点です。

本作もやはり実験的ですしシュールなのですが、

しかしとにかく面白く、

論理などサハラ砂漠へ投げ捨てて、

感覚人間となり、

フィルムに没入してしまう自分を

発見することになります。

現存の作家で、

このような映画を撮れる人間がいるだろうか。

いや、いない。

デートムーヴィーとして観るにしても、

ゆっくりと腰を落ち着け

じっくりしっかり観るにしても、

とにかくどんな状況に自分が陥っていたとて、

感動するし面白いです。これぞ映画です。

分かりきった映画なぞ、

誰が見たいと思うだろうか?