自分ごととなると

すべて『苦手』になってしまう。


父にカナダに行く事を話した時
なんだか、私の人生なのになんでこんなに親に気を遣ってるんだろうと。ふっと思った



それは私が中学の時、進路を決める三者面談になぜか父親が来た(母親は仕事だったからと言っていたが本当なのだろうか)事が原因だったのかもしれない。



本来父親はソフトボールをやっていた私に行って欲しい高校があったのだ。
私はそこには推薦で行けず、ましてや一般入試では成績が足りてなく、勉強を結構頑張らないといけなかった。


そのプレッシャーで円形脱毛症になり『下の高校に落とす』選択をしたのを父には話して無かった



母にはそれをしっかり自分の言葉で父に説明しろと言われたが出来ていなかった。


そもそも、親との将来のディスカッションは苦手だった。私がどうなりたいとか、強く願う事もなかったせいだ。


強いて言えば芸能界に憧れてはいた。




そして当日、三者面談の待合室でその旨を伝えたのだが



父は『わかった』っとそれだけ言って何も話さなかった。



今思えば母親が裏で話していてくれてたのだと思う。

 
父の期待に応えられなかったのがずっと引っかかっていた。


いつも怒られてばかりで、褒められた記憶はあまりない。






私は昔から自分がしたい要求は出来ても
私自身の話をするのが物凄く苦手だ




自分勝手に振る舞うくせにつくづくダメなやつだと思う。



本気で向き合ったり
相手の想いを汲むのが苦手なのだ。


それをずっとしてこなかったからか


いつからか、本心で話す時(もはや本心がわからないが)感情が先に出てしまい結果話せなくなる


精神的にストップがかかるからなのか
喉が詰まってくるのだ。



特に親や身近な人の前でこれが起こりやすい。

この時もそうなってしまった。

そして、投げやりに聞こえる様な発言をしてしまったのかもしれない。

本当はそんな事ないのに…


『社会に馴染めない。誰かと働くと窮屈に感じる。日本が合わない。…』


35の私が言葉を詰まらせながら話した事は

完全にどこからどう見ても

『社会不適合者』

でしか無かった。





続く