いい意味で鈍感、適当になろう(≧▽≦) | めざせ!寺子屋☆のブログ

めざせ!寺子屋☆のブログ

おばぁちゃんになったら、寺子屋をやりたい!
それまでに、人間性をもっと磨く必要がある。人間修業のライフワークを
ボランティア団体『monkey_spitz』にしようと決心。
その記録です。

子どもの数は減少しているのに、不登校の生徒の数は増え続けている。
 
のびのびしにくい環境にどんどんなっていっているように思う。
大人の世界だけでなく、それが子ども達の間でも…
言ってはいけない言葉、人を傷つけてしまう言葉、けんかの力加減、
仲直りの仕方、自分が相手がされて嫌なこと等々を子どもの時に
学べなければ、いつ学ぶのだろうか。失敗を重ねて腹に落として
理解していく。その機会が今の子どもたちは奪われつつある。
失敗が許されない環境。ごめんなさいが許されない環境。
 
何でかな~と考えると、コミュニケーション不足なのかなという
結論に至る。親と子、先生と生徒、先生と親、ご近所…。
どこかの段階においてでもコミュニケーションがしっかりしていれば、
指摘される。矯正される。修正される。
 
本音と建て前。建て前ばかり。
みんな平等。綺麗事を並べても、現実そうはいかない。
 
だから、現実とどんどん乖離し、息苦しい環境が出来上がっていく。
失敗とごめんなさいが比較的許されていた子ども自体を経て、
世の中(現実)そういうもんとわかっている大人はまだよい。
その過程を経ていない子どもたちにとっては、現実逃避したくなると
思う。言ってること・言われてきたことと現実が違いすぎるから。
 
失敗とごめんなさいが許されないなら、いい意味で鈍感、適当に
なるしかない。「?」と思うことがあったら、鈍感力を発揮し、
気が付かないふりして距離を取る。そうするには、「ぼっち」に
なることを楽しめる強さやマイペースさが必要。
 
みんなに合わせる必要はない。でも、合わせないことで生じることの
責任は自分にある。学校に行くのがつらいなら、行かなくてよい。
でも、勉強をしたり、人とのコミュニケーションをとる機会を失っては
いけない。行かないことで生じる不都合は自分でカバーする責任を負う。
ただ、合わせない。ただ、行かないは、結果未来の自分を苦しめる
ことになる。考えること、努力することは怠ってはいけない。
 
辛い、苦しい、大変。でも、みんななんらかのそういった感情は
抱いているもんなのだと思わないと。
 
【学校へ行けない人はなぜ増えた? 不登校の歴史20年間をふり返る】
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiishiko/20180523-00085368/