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モンキー DE フォークロックと『書』のライブ!

モンキー DE フォークロックと『書』のライブ!



7月3日(日)15:30スタート(11時45分開店 ランチタイム11:45~15:30)

ミュージックチャージ\2,000


出演


Piano & Vocal 佑記 奈桜

書家 末岡翆香 HP ⇒ http://homepage3.nifty.com/suikou/


こんにちは、佑記 奈桜です。モンキーさんでのライブ、今回は「書」とのコラボです。

字の下手くそなウチは、「書」というと構えちゃうのだけど、末岡翆香さんは違います。とってもチャーミン
グな女性で、書をアートに出来ちゃう達人。

どんな空間になるのか、楽しみです。
翆香さんの作品もお店に飾られています。もちろん、生でも書いていただきますよ!

ウチは70年代あたりの曲を東西から集めて聴いていただきます。

どうぞ、楽しみに来てくださいね!

40年来の友人のメッセージです、今、起きている福島原発事故から目を逸らさないように!

40年来の友人のメッセージです、是非読んでみて下さいませ、そして真剣にこれからの事を皆で考えましょう。


今、起きている福島原発事故から目を逸らさないように!



 福島原発事故による放射能汚染の影響は、福島県下はもとより周囲に拡散して、


ますますその影響は深刻化しています。しかし、政府や地方自治体の対応は戦略


がないままにその場凌ぎの後手後手処置に終始しているばかりで、東電が根拠も


ないままにでっち上げたロードマップは早くも破綻の兆しが見えています。


 さらに悲惨なのは、そんなドタバタ劇が演じられるの中で、被災地の人々の生


活は置き去りにされ、放射能汚染地域からの退避は遅々として進んでいないこと


です。私はプロフィールにもあるように30年近くパレスチナ難民の子供たちの


里親運動を続けていますが、福島原発事故に見舞われ避難させられた人々はまさ


にイスラエルから祖国を奪われ60年間もの長きにわたって難民生活を強いられ


ているパレスチナの人々と二重写しで見えて仕方ありません。


 先の福島現地調査でお会いした生産者の方々のみならず、多くの被災者の方々


のためにも、これ以上、放射能汚染を蓄積・拡大させてはなりません。この福島


原発を全面密閉し廃炉にするという視点から戦略を構築し直すこと、そしてその


戦略の下で早急に対応をしていくことが緊急の課題と思われます。そんな訳で、


私の生活は3.11東日本大震災以降、福島原発事故をキッカケとしてドラステ


ィックに変わってしまいました。


 「反原発」や「脱原発」の運動は30代の頃からそれこそいろいろな形で取り


組み、時には妻と一緒にわざわざ四国電力の株主となって「核原料物質、核燃料


物質および原子炉の規制に関する法律違反」の株主訴訟を起こしたり、原発の怖


ろしさを説明したパネルをトラックに積み込んだ「脱原発移動資料館」の全国キ


ャラバンのサポートもしてきました。


 それはそれで時代とともに形を変えて世代を超えて「原発反対!」の声を張り


上げてきましたが、今回はかつての学生運動を共に闘った団塊の世代に対して、


今ふたたび決起を促がそうと昔の名前の「日大全共闘」(正確には「我らずーっと


日大全共闘」と名乗っています)を持ち出し、ことあるごとに赤い幟を担いで集会


に駆け付けています。


 山田恭暉さんが提案された「福島原発暴発阻止プロジェクト」(「福島原発行


動隊」に名称変更)http://bouhatsusoshi.jp/ に参加したのも、そうした行動の


一つです。次世代に負の遺産を残さないために立ち上げたこのプロジェクトは、


身体面でも生活面でも最も放射能被曝の害が少なくて済み、しかもこれまで現場


での作業や技術の能力を蓄積してきた退役者たちが、知恵と力を振り絞って福島


原発事故の収拾を図ることを目的としています。


 山田さんの精力的なアピール活動と、それに共鳴する仲間や衆参議院議員らの


お蔭で徐々に浸透してきたのか、行動隊も6月20日現在で369名が名を連ね、


賛同・応援者も1,224名にのぼっています。この30日には5度目の参議院


議員会館で院内集会を開催し、さらに政府関係者などへのアプローチが予定され


ています。


 福島原発事故の問題は、単に国や東電を責めるだけでは治まらない大きな課題


を抱えています。福島の人たちだけでなく私たちも被害者の一人ではあるのです


が、視点を変えれば私たち自身も加害者の一人でもあるということを自覚しなけ


れば、この問題を解決することはできないように思います。いえ、ひょっとした


ら解決することは最早無理かもしれない・・・という声もあります。


 今、私たちにとって一番大切なことは、福島原発でまさに現在進行形で起きて


いる現実から目を逸らさないこと、そしてその上で未来をしっかり考えることで

40年来の友人からのメッセージです、“見えない怖さ”ほど怖いものはありません。

40年来の友人からのメッセージです、是非読んで

下さいませ。


“見えない怖さ”ほど怖いものはありません。


 3.11東日本大震災以降、何やら忙しい毎日を送って、日記を記すだけの心の

余裕がありませんでした。それでも、これだけは皆様にもお伝えしておきたく、

他の媒体に掲載した「福島視察リポート」の一部を紹介させていただきます。
                  ○ 
 3.11東日本大震災は、私に対して直接の被害はほとんど与えませんでしたが、

それでも被災者の方々とは違う意味で大きな問題を突きつけられ、当然のように

その後の生活に大きな影響を与えています。3月、4月は主として被災地への救

援物資搬入の支援に明け暮れましたが、この5月にはとある学会が敢行した福島

県相馬市・南相馬市・二本松市旧東和町の被災地調査に同行し、3.11東日本大震

災の津波と福島第一原発事故に見舞われた現地視察および聞き取り調査をしてき

ました。それぞれの地域では、現地で長年にわたって農業を真摯に取り組む生産

者の方々をお訪ねし、3.11から今日に至るまでのご体験と現在のご心境など

を伺ってきました。

 東日本一帯を襲った3.11東日本大震災の悲惨な被災状況は、その後のテレビ

や新聞や週刊誌などマスメディアの報道により目に焼き付いていたので、それな

りの認識は持っていたつもりでしたが、実際にレンタカーで相馬市や南相馬市に

入り、海から3~4kmも離れた水田にまで根こそぎ横たわる防風林の松や漁船

や車を目にして、今回の自然災害が尋常でなかったことを改めて思い知らされま

した。

 そして、何よりもこの調査で明らかになったことは、岩手や宮城などの被災地

はまだまだ十分とは言えないものの復興に向けて動き始めていますが、ここ福島

は原発事故が未だ進行中であるために農家や漁家など生産者はもとより、ここで

生活する全ての人々はさらに厳しい局面下におかれ続け、被災者の捜索も遅々と

して進まず、復旧や復興を語り合うような状況では全くないということでした。

 既に報道でも知らされている通り、福島第一原発の周囲20km圏内は立ち入

り禁止とされ、ここで生活していた人々ですら一歩足を踏み入れただけで犯罪人

にされてしまうという状況下に置かれています。当然、地震や津波によって損傷

した家屋や田畑の復旧は手つかずのままで、国道6号線には全く人影や車影がなく、

あたかも時間が止まってしまったように無人のゴーストエリアとなっていました。

 緊急避難を余儀なくされた生産者の方々の、その後の既に2ヶ月を超えた避難

生活の苦境はまさに深刻そのものでした。彼らが話す言葉の端々からは、当たり

前の生活ができない“苦しさ”もさることながら、それ以上に田畑を前にしなが

ら作付ができないという“無念さ”がひしひしと感じられました。原発事故によ

る放射能汚染は、健康被害や農業経営被害はもとより、彼らの生きてきた人生そ

のものをも奪う深刻な問題を投げかけていたのです。

 相馬市からさらに海沿いの南相馬市を視察した後は、今もっとも放射能汚染で

話題を集める相馬郡飯舘村を経由して、さらに東の二本松市旧東和町の有機農業

家の方々を訪ねました。それまでの津波で荒廃した田畑やゴーストタウン化した

街並みとは一転して、阿武隈山系北部の高原に開けた豊かな自然に恵まれた飯舘

村から旧東和町にかけての山道は、まさに新緑と花に彩られ視察団一行はしばし

快適なドライブを楽しみました。しかし、皮肉にも車中の線量計は緑に囲まれた

里山に入れば入るほど高い数値を示し、飯舘村に差し掛かる頃にはそれまで1~

2μSV/hだった大気中の放射線量が一気に4~7μSVに跳ね上がるまでになった

のです(参考までに東京は約0.06μSV/h)。 

 放射能汚染で私たちが日常目にするデータは、上記のような大気中の放射線量

です。しかし、地上1mと地上10cmではそれが同じ地点であっても2~3倍

以上の開きが出ることもあるということは、現地の人でも認識している人は多く

ありませんでした。ましてや、建物の雨どいや排水溝や木陰の落ち葉の水たまり

などの数値が、さらに10倍にも20倍にも跳ね上がったという事実は無視でき

ません。一見したところでは何も危険性が感じられないだけに、実際に測定して

そのギャップを体感した時の恐ろしさは尋常ではありませんでした。

 福島第一原発から20km圏内にある浪江町は、町役場ごとそっくり隣接する二

本松市旧東和町に避難していますが、その旧東和町の道の駅会議室を会場とした

2日目のヒヤリングには、地元の生産者のほか飯舘村の生産者も駆け付けてくれ、

3.11からの被災状況を報告していただきました。放射能汚染に見舞われ危機

的な局面に立たされながらも、なお農業と地域の再建に向けた意欲をひたむきに

語る彼らへの共感とともに、ここまで何も戦略を示せないでいる国や行政への腹

立ちが増すばかりでした。

 今回の視察には名だたる大学の自然科学系や社会科学系の研究者たちが参加さ

れたものですが、視察を終えての会議ではそれぞれの専門分野から特に放射能汚

染について極めて深刻な問題が提起され、それらの課題解決は決して一朝一夕で

できるものでなく10年、20年、30年という遠大なスパンで取り組まざるを

えないことが指摘されました。彼らの議論を聞いていて、私はこの福島原発の問

題は今すぐにでも全ての専門分野の研究者たちが立ち上がり、政府や行政から発

信される情報ではなく自ら収集した正確な情報を共有して、学際的にコラボレー

トしながら俯瞰した視点で問題解決の道を探ることが必要であることを強く感じ

ました。

 今回はたったの2日間の現地調査でしたが、放射能汚染の凄まじい暴力性をし

っかりと認識するには十分の2日間でした。この2日間の体験を無駄にしないた

めにも、今後は、これまで無意識・無自覚に食料や電力を消費していた自分自身

の生き方を見つめ直し、脱原発へのアクションは当然ながら、併せて福島第一原

発事故の被災者たちとどう向き合うべきか、彼らの生活や人生を保証する責任を

どう果たすべきかについて、真剣に考えるべきではないかと思った次第です。

写真・左:津波を受けた水田はヘドロ化し、水が退いて乾燥すると粘土と砂でこう

した有様に

写真・中:海岸から2~3km離れた水田に根こそぎ押し寄せられた防風林の松は

今もそのままの状態で放置されている

写真・右:一見したところでは日本の誇る里山風景だが放射線量を測るとあちこち

で恐ろしいデータが現認された