40年来の友人からのメッセージです、“見えない怖さ”ほど怖いものはありません。
下さいませ。
“見えない怖さ”ほど怖いものはありません。
3.11東日本大震災以降、何やら忙しい毎日を送って、日記を記すだけの心の
余裕がありませんでした。それでも、これだけは皆様にもお伝えしておきたく、
他の媒体に掲載した「福島視察リポート」の一部を紹介させていただきます。
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3.11東日本大震災は、私に対して直接の被害はほとんど与えませんでしたが、
それでも被災者の方々とは違う意味で大きな問題を突きつけられ、当然のように
その後の生活に大きな影響を与えています。3月、4月は主として被災地への救
援物資搬入の支援に明け暮れましたが、この5月にはとある学会が敢行した福島
県相馬市・南相馬市・二本松市旧東和町の被災地調査に同行し、3.11東日本大震
災の津波と福島第一原発事故に見舞われた現地視察および聞き取り調査をしてき
ました。それぞれの地域では、現地で長年にわたって農業を真摯に取り組む生産
者の方々をお訪ねし、3.11から今日に至るまでのご体験と現在のご心境など
を伺ってきました。
東日本一帯を襲った3.11東日本大震災の悲惨な被災状況は、その後のテレビ
や新聞や週刊誌などマスメディアの報道により目に焼き付いていたので、それな
りの認識は持っていたつもりでしたが、実際にレンタカーで相馬市や南相馬市に
入り、海から3~4kmも離れた水田にまで根こそぎ横たわる防風林の松や漁船
や車を目にして、今回の自然災害が尋常でなかったことを改めて思い知らされま
した。
そして、何よりもこの調査で明らかになったことは、岩手や宮城などの被災地
はまだまだ十分とは言えないものの復興に向けて動き始めていますが、ここ福島
は原発事故が未だ進行中であるために農家や漁家など生産者はもとより、ここで
生活する全ての人々はさらに厳しい局面下におかれ続け、被災者の捜索も遅々と
して進まず、復旧や復興を語り合うような状況では全くないということでした。
既に報道でも知らされている通り、福島第一原発の周囲20km圏内は立ち入
り禁止とされ、ここで生活していた人々ですら一歩足を踏み入れただけで犯罪人
にされてしまうという状況下に置かれています。当然、地震や津波によって損傷
した家屋や田畑の復旧は手つかずのままで、国道6号線には全く人影や車影がなく、
あたかも時間が止まってしまったように無人のゴーストエリアとなっていました。
緊急避難を余儀なくされた生産者の方々の、その後の既に2ヶ月を超えた避難
生活の苦境はまさに深刻そのものでした。彼らが話す言葉の端々からは、当たり
前の生活ができない“苦しさ”もさることながら、それ以上に田畑を前にしなが
ら作付ができないという“無念さ”がひしひしと感じられました。原発事故によ
る放射能汚染は、健康被害や農業経営被害はもとより、彼らの生きてきた人生そ
のものをも奪う深刻な問題を投げかけていたのです。
相馬市からさらに海沿いの南相馬市を視察した後は、今もっとも放射能汚染で
話題を集める相馬郡飯舘村を経由して、さらに東の二本松市旧東和町の有機農業
家の方々を訪ねました。それまでの津波で荒廃した田畑やゴーストタウン化した
街並みとは一転して、阿武隈山系北部の高原に開けた豊かな自然に恵まれた飯舘
村から旧東和町にかけての山道は、まさに新緑と花に彩られ視察団一行はしばし
快適なドライブを楽しみました。しかし、皮肉にも車中の線量計は緑に囲まれた
里山に入れば入るほど高い数値を示し、飯舘村に差し掛かる頃にはそれまで1~
2μSV/hだった大気中の放射線量が一気に4~7μSVに跳ね上がるまでになった
のです(参考までに東京は約0.06μSV/h)。
放射能汚染で私たちが日常目にするデータは、上記のような大気中の放射線量
です。しかし、地上1mと地上10cmではそれが同じ地点であっても2~3倍
以上の開きが出ることもあるということは、現地の人でも認識している人は多く
ありませんでした。ましてや、建物の雨どいや排水溝や木陰の落ち葉の水たまり
などの数値が、さらに10倍にも20倍にも跳ね上がったという事実は無視でき
ません。一見したところでは何も危険性が感じられないだけに、実際に測定して
そのギャップを体感した時の恐ろしさは尋常ではありませんでした。
福島第一原発から20km圏内にある浪江町は、町役場ごとそっくり隣接する二
本松市旧東和町に避難していますが、その旧東和町の道の駅会議室を会場とした
2日目のヒヤリングには、地元の生産者のほか飯舘村の生産者も駆け付けてくれ、
3.11からの被災状況を報告していただきました。放射能汚染に見舞われ危機
的な局面に立たされながらも、なお農業と地域の再建に向けた意欲をひたむきに
語る彼らへの共感とともに、ここまで何も戦略を示せないでいる国や行政への腹
立ちが増すばかりでした。
今回の視察には名だたる大学の自然科学系や社会科学系の研究者たちが参加さ
れたものですが、視察を終えての会議ではそれぞれの専門分野から特に放射能汚
染について極めて深刻な問題が提起され、それらの課題解決は決して一朝一夕で
できるものでなく10年、20年、30年という遠大なスパンで取り組まざるを
えないことが指摘されました。彼らの議論を聞いていて、私はこの福島原発の問
題は今すぐにでも全ての専門分野の研究者たちが立ち上がり、政府や行政から発
信される情報ではなく自ら収集した正確な情報を共有して、学際的にコラボレー
トしながら俯瞰した視点で問題解決の道を探ることが必要であることを強く感じ
ました。
今回はたったの2日間の現地調査でしたが、放射能汚染の凄まじい暴力性をし
っかりと認識するには十分の2日間でした。この2日間の体験を無駄にしないた
めにも、今後は、これまで無意識・無自覚に食料や電力を消費していた自分自身
の生き方を見つめ直し、脱原発へのアクションは当然ながら、併せて福島第一原
発事故の被災者たちとどう向き合うべきか、彼らの生活や人生を保証する責任を
どう果たすべきかについて、真剣に考えるべきではないかと思った次第です。
写真・左:津波を受けた水田はヘドロ化し、水が退いて乾燥すると粘土と砂でこう
した有様に
写真・中:海岸から2~3km離れた水田に根こそぎ押し寄せられた防風林の松は
今もそのままの状態で放置されている
写真・右:一見したところでは日本の誇る里山風景だが放射線量を測るとあちこち
で恐ろしいデータが現認された