ひと足先に社殿に着いて参拝していると、あとから姿を見せた
おじさんが、鬼瓦を指差して、あそこに葵の紋が見えるだろ、と言った。
ここ栃木市大平町横堀にある徳川家由来の由緒ある社だった。
歴史好きのおじさんは、ここのまわりは昔馬場でね、この神社の由来の
彫られている石碑を見なかったかい、と聞いてきた。
首を横に振ると、鳥居の手前の参道から少し脇に立つその碑に案内してくれた。
延宝五年(1677年)の文書の内容が御影石に彫りつけられていた。
ひとつの巻き物にこの春日大明神のことが書いてあったと、まるで見てきたように
話すおじさん。
ほんとかな?とオレが思ってるのをお見通しのように、
頭からその古語を解説し始めた。
夏の光が鏡のような石の表面にオレとオレより小柄なおじさんの姿を
映しだしている。
私の調べたかぎりでは、この文書にうずまがわのほたるのことが書いてあるけど、
これが一番古いね、ほたるのことが書いてあるもののなかじゃ、、
このほたるを古河の殿様に献上して、それを徳川の将軍様へお届けしたそうだ。
もっとも戦前はほたるがいたそうだが、オレが生まれたころの昭和30年代には、
おふくろがオレのおしめを洗っていたのだから、ほたるなんか絶滅してしまったの
だろう。その代わり、鯉がオレのエサでまるまると太っている。
おじさんの長い説明に多少飽きてきたが、彼の郷土愛の熱さを感じた。
お礼を言って、自転車にまたがり、良き出会いに感謝しながらペダルをこいで
家路につく。
