最近、私が泊まるときは顔を拭いて、化粧水をつけてとケアをしていました
一人ではお風呂に入れないから、せめてきれいな顔のケアはしようと
母愛用のド〇ホ〇ン○○クルでクリームも付けてケアしました
母は『さっぱりした~』って。
よくケンカもして、言い合いもして。父ががんと分かったときに母のことが心配だって
言われていたのに、車でタバコをすうなとか、いろいろひどいことを言ってしまって
後悔しかありません。
でもね。。。。。ずっとお母さんのことが大好きで、ずっとずっと病気のこと神様にお願いしていた。
黙っていたけど、ずっとなんだよ
浴槽を水浸しにして警備員が来たっけ
夜中に3回、トイレへ。転ぶといけないので介助しながfら。
普通に、自分でできたし、何も問題はなかったです
朝9時過ぎ、姉が到着。
母がトイレというのでトイレに。
このとき起き上がることができずに姉が介助。後日起き上がれないことは時々あったというので
いつも通りだったと思います
『起こしてくれるの?ありがとう』
この言葉が私がきいた最期の言葉でした。
母を寝かしつけて姉と台所で雑談。
このとき10時過ぎ。
姉が母のそばに行ったと思ったら
『救急車呼んで!!早く!!』って
何を言っているかわからなくって様子を見に行くと
姉が母を抱えて叫んでいました。
母を見ると目を開けて、でも言葉を発せずにいました
10時35分、119に電話。
『消防車ですか、救急車ですか』
から始まって。息をしていますか?
『お母さん息してる??』自発呼吸はしていました。足も動いていました
『お母さんの呼吸が大事だからそのままで、もし呼吸が止まったらまた電話ください
今向かってますから』 すごく冷静で、私たちの言葉を逃がさず、運ばれるのが母親ということを
瞬時に判断してパニックになっている私たちを落ち着かせてくれました
その間、姉はかかりつけの大学病院の緩和病棟に電話。
電話口で『今、F大学病院に通っているのでそこに行きたいのですが』というと
『それは到着した隊員に伝えてください。こちらからも伝えますから!』と
すぐに私の携帯に救急隊員から連絡があり、今向かっている旨伝えられました。
私たちはパジャマ姿でした。
姉に『着替えたほうがいいんじゃない?』って父の経験から救急車には一人しか乗れない
事を知っていたので伝えると、姉はすぐに着替えて、母を抱えている私に変わって
遠くに聞こえる救急車の音をむかえるために外に出ました
母を見ると目がきょろきょろ動いて、まるで『何が起こっているのかわからない』って言っているようでした
脚も動いて・・・
ここで姉が最初に見た母の状態は・・・
仰向けに布団の上で寝ていたようで『お母さん、暑いの?』と聞くと
もう意識がなかったそうです。
トイレに行ってから30分後でした
救急隊員が来て状態を確認、父の時は心肺停止だったので心臓マッサージなどの蘇生を行ったのですが
母の場合はすぐに救急車へ。何か毛布等ないですか?と聞かれ、
母が父のために買った絹の毛布。その毛布は父が救急車で運ばれたときに使ったものを
渡しました。
救急車がくる間、姪に電話。すぐに来るように言ったら救急車が出発するころに到着しました
道路に止まっていた救急車。車が通れず2・3台立ち往生していました。
姉が乗り込んで、救急隊員から「F大学病院に行けるかこれから連絡しますので」という言葉を
もらい、出発。
立ち往生していた車に頭を下げると『とんでもない、大丈夫ですよ』って言ってくださったり、
手を挙げて問題ないって合図をしていただいたり、近所の人に声をかけてもらったり
感謝しかありませんでした
私のわんこと