余命宣告って | 乳管内乳頭腫が乳がんだった

乳管内乳頭腫が乳がんだった

3年前に乳管内乳頭腫と言われその後経過観察
2017年6月に乳がんになってしまいました

金曜日、知らない番号から電話がありました。

それは病院から。母の今後の治療について先生が話がしたいので明日来てください。

という内容でした。姉はひさしぶりの夫婦の旅行中。連絡が取れなかったので私のところに

電話がありました。

姉にラインすると電話がかかってきて病院に月曜日(自分がいるとき)にしてもらうように電話すると。

母は入院してから家に帰りたい、家に帰りたいと言っているそうで、緩和になっても在宅にしたい旨を

先生に言うつもりだそうで・・・・・

 

しかし先生は急を要するのか、なんて言ったのかわからなかったけど結局土曜日に私に話をすることに。

姉にはスマホを音声出力にして参加することにしました。

 

土曜日、仲良しの姪と35000円という部屋にワイワイと出かけました。

余談ですが・・・初めての35000円の部屋、病棟の入り口が解らず、『関係者専用』のエレベータに乗りこんだら

階のボタンが押せない!!???と思っていると私の形成外科の先生が乗り込んできて・・・・・・・

こんなところでお会いするのもびっくりだったけど、事情を話したら関係者専用のエレベーターで母が入院している

階に行くことができました。   感謝です

 

リニューアルした病院はそりゃびっくりでした。

フロアーに入るにも、病室に入るにも看護士さんのカード承認がないと入れない。

家族の病室に入るにもですよ~セキュリティ素晴らしい。

ホテルだわ~

 

ここまではハイテンション。

 

看護士さんに呼ばれて先生のお話を聞くことに。

スマホは伊勢志摩にいる姉につながっています

 

 

 

 

外来の時の先生じゃない、入院担当の先生。

 

白血球が8万に上がっている。2週間前は3万(これでもかなりの異常値)、先週は5万。

腎臓の数値も悪くなっているから、今後尿が出にくくなる障害が出ると思います。

貧血、出血、あらゆる弊害が出てきますが

 

治療はもうできません。

 

今まで飲んでいた薬がもう効かなくなってます。ほかの抗がん剤をする選択肢もあるが、副作用がひどく、

少しの延命のために辛い副作用をさせるのはよくない。

 

緩和に行くことを勧めます

 

って。

 

2週間から1ヶ月。急変するならこの間。でもこの期間がすべてではないですが

早めの緩和病棟に移動することを勧めます

 

 

もう何も言えなかった。

ああ、余命はやっぱり本人には言わないんだなって・・・そんなことを考えていました

 

姉は緩和に行っても治療が受けれるのか。かかりつけの地元の医師に在宅看護ができるか

色々質問していたけど、結論とすれば

 

今後のことは緩和科に聞いてください、血液内科では治療はもうできません

 

ということでした。

 

 

 

 

サインした書類。

 

不思議と涙は出なかった。

元気そうに見える母。姪は泣いていた。姉はどうだったんだろう??

 

 

夜、いろいろ考えて、今伝えるべきと事を伝えたい。父の時に言えなかった言葉を言いたい。

 

 

今日、面会に行くと寝ている母。

私が来てもいまいち反応が悪い。

しかし今言わないと。しっかり意識があるときに言わないと

 

『お母さん、産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。お父さんとお母さんの子供に生まれてきてよかった』

 

母の顔が変わって。涙を流していた。死期を感じたのかもしれない。今言うべき言葉じゃなかったかもしれない。

でも父の時に言えなかった、自己満足だけど言えてよかった。

 

母は初めて『もっと生きたい』『私は3桁まで生きるから大丈夫』って言ってた。治るって。

 

そうだね、そうだねって。

 

 

帰るとき

『お母さん、大好きだよ』って言ったら

 

満面の笑みをしてくれた。

 

これからどうなるか解らないけど、精一杯恩返しをしたい

 

飼っているわんこに似ているぬいぐるみをプレゼントしたら

『あれ??なお、お顔が怒ってる??かわいくないよ』って言ってた

 

喜んでもらえてよかった~