母のこと(骨髄異形症候群) | 乳管内乳頭腫が乳がんだった

乳管内乳頭腫が乳がんだった

3年前に乳管内乳頭腫と言われその後経過観察
2017年6月に乳がんになってしまいました

母はおととしからずっと骨髄異形成症候群の治療をしています

 

治療というか経過観察というか。もう高齢なので骨髄移植は体力的に無理

ということで積極的な治療はせず、輸血で何とか維持してきました。

 

5日、今回は私が母の病院に行く番でした。

採血をしてコーヒー飲んで先生の診察を待ちました。

まぁいつもと変わらず輸血をして終わりだろうなって

 

しかし今回は違いました

『白血球が5万を超えてしまったから入院だね。』

 

えーーとうとう来たか・・・・・

 

半分痴呆が入っている母はいまいち解っていない様子。ある意味よかった。

 

姉に電話をして状況説明。入院は14日からと決めました

 

電話をしていると先生の呼び出しが・・。このとき母は輸血をしていました

 

先生は

 骨髄異形成症候群が白血病に移行したと思います。これからどんどん数値が悪くなっていく

 今飲んでいる薬(ハイドレア)がすごく効いてここまで来れたことが奇跡に近いこと。

 1週間血液内科で入院して抗生物質等の治療をして、もしよくなったら(去年も同じことを言われて数値が

 改善しました、しかし今回は無理だと思うとやんわり言われました)退院。

 よくならなかったら緩和病棟に転科します。

 

こういう説明は痴呆の人であったとしても本人に解らないように家族に伝えるんだなぁ~

緩和に行ったら退院は無理と。

 

骨髄異形成症候群から白血病になると予後が悪いと知っていたので・・・・・ずっと白血病に移行しないように祈っていました

 

輸血をして顔色が白からうっすらピンク色に変わっていくのを見て、あまり口に出して言わないけど辛いんだろうなって

 

ある程度覚悟はしていたけどやはり悲しい気持ちになります

 

これはラスベガスに行ったとき

父が亡くなって1年後かな?

 

ちょっと汚い話ですが

母は自分でトイレに行けたり行けなかったり、なのでおむつをしています

いつもは輸血をしていると眠っているのに今日は目を開けてきょろきょろ。

急にトイレに行くと起き上がり、それを看護士さんが介助をしようとしたら、

お母さんたぶん大きいのしちゃっていると思うけど、おむつ持ってきてる?と聞かれました。

え??そうなの??気づかなかった

 

トイレで看護士さんがおむつを変えようとするとすごく嫌がって。

私が呼ばれてトイレで押し問答。

娘におむつの変えをしてもらいたくない、自分で何とかできるって思って私を拒否る。

すごく気持ちはわかるけど、無理だし、変えてもらわないと困る私。

 

辛かった

 

結局納得してもらって私が生まれて初めておむつの変えをしました。

 

ほっとしました。

 

入院すると痴呆が進むからそれは覚悟してねって先生に言われました

後どれくらい一緒にいられるか解りませんが、できるだけのことはしたいと思っています

 

そんな母は昨日、名古屋メシ味仙で台湾ラーメン含め結構食べていたのでちょっと安心しています