長女が小学二年生の時に、病院で検査をしたらADHDの注意欠如多動性障害と診断されました。
そして長女が小学三年生の時に、ADHD(多動性注意欠陥障害)とASD(自閉症スペクトラム・アスペルガー)の合併症と診断されています。
現在長女は小学六年生で、普通学級で授業中に月2日ほど通級指導教室に通っています。
本人が中学では通級を辞めたいと言っているので、中学では通級指導教室に通わせるかはまだ悩み中。。。
長女が四月から通う予定の中学校とは違う中学校の通級指導教室の四者面談を夫と長女と私で受けてきたばかりなのですが、、、。
でも、嫌なことを無理強いさせるのは二次障害が悪化する可能性があると忠告されているので、致し方ないかなと。
長女はADHD注意欠如多動性障害 | 山あり谷あり・・・♪食欲あり♪ (ameblo.jp)
ADHDとASDの合併症 | 山あり谷あり・・・♪食欲あり♪ (ameblo.jp)
ADHD障害とASD障害のことが書かれてある本をお義母さんから借りて昨日から読んでいます。
私がASDっぽいから読んでみたら?って言われたんかな?
ハッキリ言ってくれなきゃ、わからんよ
良く分からないけど、知識習得中
ADHD〔Attention Deficit Hyperactivity Disorder:注意欠如・多動症(注意欠陥/多動性障害、注意欠陥・多動症とも呼ばれます)〕
ADHDは発達障害の1つで、「不注意」「多動性」「衝動性」といった症状が特徴としてみられます。
ASD(自閉症スペクトラム・アスペルガー)
ASDは発達障害の一つで、社会性・コミュニケーション・想像力・共感性・イメージすることの障がい、こだわりの強さ、感覚の過敏などを特徴とする、自閉症スペクトラム障がいのうち、知能や言語の遅れがないものをいいます。
この本を読んでみて、改めてこの障害のことへの理解が深まり、家族や義両親と情報共有しています。
私は、この本でASD障害が強めという診断結果が出たからか、自分の性格や特徴を再認識できるきっかけに繋がった。
この本のこと「うんうん、そうそう!まるで私と娘の日常のことが書かれてあるわ」っていう目線で読めて、すらすら読んで共感しています。
自分が幼少期や10代の頃は、自分がASD障害児と言われたこともなければ、気付きもしませんでした。
でも20代30代40代になるにつれ、ASDっぽいなと思うことが多々あって・・・、
今回、この本を通して面白いほどに気づけました(笑)
本には、ADHD障害とASD障害の適正チェックもあり、家族でやってみたら私はどちらも高得点(笑)でADHD障害とASD障害の傾向があるという診断結果に
まぁ、なんとなく、大人になってからASD障害かなと自分では気づいていたけど、ADHD障害も傾向があるという診断結果にも気付きたくなかった。
私の場合は、ADHD障害と1点差でASD障害の方が強めだった。
ちなみに、長女にさせてみたらADHD障害診断は全て当てはまるという結果。
ASD障害に関しても高得点。
私は幼少期から対人関係が苦手で、特に幼稚園や小学生時代は担任の先生がお友達で親友はたったの1人で、6年間登下校はその親友といつも二人だけで、他に数名お話できる子がいるだけで友達と呼べるものかは分からない。
自分から友達を作りたいと思わなかったし、楽しいや悲しいなどの喜怒哀楽の感情が薄くて無反応だったことも多かったみたい。
母親から、「友人や言葉数が少なくて、どう思っているのか分かりづらかった」と言わてれたのを思い出した。
社会に出て19歳でOLとして働きだしたころから会社の友達や同僚に支えられて、みるみるうちに話せる人も増えて明るい性格に変わっていった。
幼少期のASD障害と大人になってからのASD障害って成長と共に少しずつ変化はあると思うけど生まれつきの性格や特徴の部分は変わっていないんだろうなって思った。
相変わらずこう見えて自分からは積極的に友達を作ろうとはしていないし、ウチは転勤族だからか近所のどーでもいいママ友は不必要だと割り切ってるから近所の友達は要らない。
自分が好きで相手も自分のことを必要としてくれているのが分かり合えている信頼できる人、人達との信頼関係性の方がずっとずっと私にとって大切なもの。
自分にとって心が荒むような人たちと無理して過ごしたりムダな時間を費やすのはもうやめた!
そいつらの事を思い出したり見るだけでも腹立つし!
でも、私はジムに通って7年目を迎え、いろいろなジャンルのジム友と巡り会えたおかげで、その付き合いの中で自然と親友・心友・信友などの友達が増えていったという感じ
ほんと、ZUMBAの大好きな女性のインストラクターさんとZUMBAの友達に感謝感謝です
私の長女の障害のことを知っている人は居ても、私のことをADHD障害とASD障害かも?という風に見てる人は居ないと思う。
でも、私が大好きなジムのZUMBAのインストラクターさんや、ジム友の多数の人から「天真爛漫でいつも笑顔で明るく元気な子」
「いつもたくさんの友達としゃべっているから悩み事とかストレスなさそうな子」
って言われている。
昨夜も私のASD障害がだいぶ強めに出てしまったようで、「ダンスの先生に真実を伝えなければ!」って思ったら胸が苦しくなってしまって即行動!で娘のダンス発表会を巡って、すっごいかき乱しちゃったことで夫と言い合いになったり
でも夫(ちなみに夫は忘れっぽくてADHD値高めの診断結果でした)は私のASD障害を理解してくれているようで、「私の行動は間違ってはいないよ。ダンスの先生に正しいことや真実を伝えること、嘘偽りなく先生に伝えることをしただけだから正しい行動だよ。」って言ってくれた。
でも、普通の人ならいちいち先生に言わずにスルーして誤魔化してしまったり、嘘ついたり見過ごしてしまうところだと思うと言われた。
自分の中の正しさという基準から外れたとき、曲がったことが大嫌いな私はどうしても追及したくなるし、たった一つの真実に向き合い徹底的にこだわる傾向がある。
そこの特徴もだいぶ強めな私。
それが相手にとってどうでもいいことであったとしても、自分にとってそんなに大事じゃなくても、その物事の大きさの大小とか損得とか一切関係なく、ただただどっちが正しくて真実なのかを追求しておきたいだけ。
ほんとに自分でもこういう性格が面倒くさいって思うときもあるし、そんな自分に疲れるときもある。
正直、何をするにしても、好きなことをするときでも、朝から気分が乗らないときもいっぱいある。
ちなみに、今日は朝からそんな日だったからweb予約してたジムのスタジオのリトモスも予約キャンセルしたぐらい
そんなときは誰かと会うよりも、一日中一人でいた方が落ち着く。
やっぱり誰かと居るより、基本はガヤガヤうるさい所よりも、一人で静かに好きなことをしている時間の方が気楽で好きなのかも。
仮に、私がこのタイミングで明日のジムとかで友達やイントラさんに「私ってASDなんだ~」って言ったとしても、それが理由で私のことを嫌いになったり、離れたりしていく友達は居ないと思う。
ジム友に関してはその理由で離れていくような浅い人間関係は築いてきていないから、少しずつカミングアウトすることで周りの友達も少しずつ理解してくれたり納得してくれたりするのかなって。
ジム友やイツメンや、ZUMBAの友達とワイワイ楽しい時間を過ごすひとときも大好きだけど、
一人で好きな音楽聴きながら大人の塗り絵してるときの心穏やかで静かな時間も大好き
今現在、ASDを完全に治療する方法は、今のところはないといわれています。
私は、大人になってからASD障害を疑うようになり、実際に病院で診断されたわけではないのでブログでは書かないようにしてきた。
自分でそういう自覚があるから、病院で検査するまでもないと思っている。
検査したところで、今の生活の何が変わるって?何も変わらないよ?
専門の先生から助言されたとしても、今から自分の性格変えるなんて、したくない。
私は今の性格でいいの。
私の性格が満足とは言えないけれど、少なくとも私の周りには性格の良い優しい気遣い上手で本音でしゃべれる友達が年々増え続けているから、今のままがいい、今のままで十分
今以上の素晴らしい友達を多く望むのは・・・自分もそれなりの人間になってからだと思う。
今の私には足りない。
だから私は必要最低限の生活が出来ればいいと思っています。
必要最低限という言葉が誤解を生みそうですが、衣食住が何の不自由もなく出来る事。
ブランド物には全く興味ないし、洋服もこだわりなくて家でもダンス三昧だからスポーツウエアがあれば年中それで事足りるし(笑)。
もう欲しいものは全部手に入れた。
と思っている。