ボランティアと云う言葉について | ネットで友になる

ボランティアと云う言葉について

ボランティア活動を続けてくる中で『ボランティア』と言われる言葉に違和感を覚え・風の吹き抜けるような虚しさと・寂しさを覚えていました。もっと適切な言葉は無いのか?「ボランティア」と云われている言葉の意味を辞書で探せば・『自ら志願する』と出ています。

他の人達から「何をされているのですか?」と聞かれると「ボランティア活動をしています」とは答えられない。あたかも「私は偽善者です」と、自分で告白しているような気持ちになる。「ボランティア」と云う言葉が持つ意味は、冷静になって考えてみるとボランティア活動をしている人達が喜び、自己満足に陥りその 成果だと思っている自分たちが自画自賛している自慢話のように聞こえてくる。

『ボランティア』と、云うイメージが出来上がり、何かをして上げる、助けてあげる、良い人達の活動のように思われている。ボランティア活動をしている人達は喜んでいるが問題解決には至らない。援助を受けているひと達の心が無視されているなぜ「違和感」を感じていたのか? 

現実の支援現場では海外の人たちによって行われている援助活動が、援助を受けている人達の心を傷つけ・自尊心を失わせ、援助者の都合で「始めたり、終ったり」している現実に、一方的にして上げる・助けてあげる・導いてあげる活動が、村人達の反感を買っている事に気付 いていました。ボランティアに替わる言葉として、「無料奉仕」「奉仕」「援助」「支援」「介護」「善意」と、色々な言葉を並べても正しく表しているとは思えない。全ては援助者側の言葉で、援助を受けている人たちとの間が上下関係になっており、援助している人たちの都合で行なわれている活動は、援助を受けてい る人達の心を、自尊心をキズつけ無視されている様にさえ思える。

支援者と支援を受けている人達の関係で、上下関係を作らず、共に生きる活動になれば・・・・・・良いな~と、漠然と思っていました。

 『共に生きる活動』 『共生活動』 『共生』 

アレ、そうか ! この言葉をそのまま使えばいつも思っている疑問が解決するのではないだろうか ! ボランティア活動の実態として『共生』と云う言葉を使って行こうと想う時、私の心の中に固まっていた「ワダカマリガ」が無くなっている事に笑顔になれました。