きまぐれニュース NO,4 | ネットで友になる

きまぐれニュース NO,4



今年度の支援先カンボジアこどもの家の活動・

① 井戸工事活動・・・新鮮で衛生的な水を求めて !
カンボジアでは衛生的な水が手に入るのは20%に過ぎません! 多くの子供が病気になります。


②『寺子屋活動』・・・学校に行けないこども達の支援! 
村人たちの手で「寺子屋」を開設します。イスも机も教室も村人たちの手作り・・・。

③孤児の支援活動・・・孤児を孤児にしないため !
孤児となったこども達を孤児院に入れますと「孤児のレッテル」を貼ることになります。
孤児が育った村でおばあちゃんやおばさん、親戚を探しお世話のお願いをします。

④図書館活動・・・本の読み聞かせと移動図書館 !
4人のスタッフが毎日村々を廻って本の読み聞かせを行っています。

世界の出来事・・・

★来訪:中東の平和、若者の手で 紛争続くイスラエル・パレスチナから
 ◇「憎しみの連鎖、断ち切らねば」
 紛争が続くイスラエルとパレスチナの若者計12人が、日本の市民団体
などの招きで広島県を訪れた。その一人で、イスラエル軍の誤射撃で12
歳の妹を失ったパレスチナ人、マリアン・サアデさん(17)は、被爆60年を
迎えた都市を見つめ、平和への願いを新たにした。
 紛争国の若者に平和や対話の大切さを体感してもらうため、
東京や広島の市民団体などで作る実行委(井上弘子委員長)が
招待した。ベツレヘムに住むサアデさんは03年3月、家族と車で買い
物に行く途中に武装勢力と間違われ、イスラエル軍に銃撃された。
200発以上の銃弾が打ち込まれ、隣に座っていた妹が死亡した。
自分自身も右ひざに弾を受けて入院。ただ一人の妹を悼んで一晩中泣いたこともあったが、「悪いのは戦争だ」と、イスラエル人を恨むことはなかったという。
 メンバーの大半は互いの国民と話すのは初めてだが、
平和について深夜まで議論するうち、服を貸し借りするほど打ち解けた。
イスラエルから参加したオメール・ケシェットさん(18)は「争いを憎む気持ちは、どちらも同じ。
我々の残酷な罪を許してくれたマリアンを見習い、憎しみの連鎖を断ち切らなければ」と話していた。
 広島では原爆ドームや平和記念公園を見学したが、サアデさんが最も印
象に残ったのが、地元の小学生らから作り方を教わった折り鶴という。
「小さな子どもたちが平和への思いを込めて紙を折る姿に感動した」
 サアデさんは「人を殺すのも人の手だが、平和の象徴を折るのも人の手。
早く人々の手が平和のために使われ、故郷が日本のように平和な国になっ
てほしい」と期待を込めていた。

★ 平和のつどい:残留孤児の現実知って 川添さんが講演-
-佐賀で /佐賀

 太平洋戦争終結から60年の15日、佐賀市で「8・15平
和のつどい」が開かれ、参加者らは、戦争を二度と繰り返さず
、平和な世界を築き上げることを誓った。原水爆禁止県協議会
(緒方克陽会長)主催。中国残留孤児で93年に永住帰国を果
たした、基山町の川添緋砂子さん(69)が講演した。
 川添さん一家は、北波多村(現・唐津市北波多)出身で郵便
局員だった父の仕事の転勤で、32年に旧満州(現・中国東北
部)へ。川添さんは36年に生まれた。45年8月、ソ連が日
本に宣戦布告すると、ソ連の軍用機が爆弾を落とし、機関銃で
掃射した。川添さんは、両親と妹2人の計5人で、山奥に逃げ
込んだ。
 8月25日、母は難民収容所で妹を出産後に死亡。父も10
月10日に亡くなった。「いずれも栄養失調だった」という。
 孤児となった川添さんは、瀋陽で建設会社を経営していた養
父母に引き取られた。「小学校では中国語がしゃべれず『日本
鬼』と呼ばれいじめられた」と振り返った。
 93年に基山町に身元引受人が見つかり、永住帰国。しかし
「日本語を全部忘れていた」。日本語ができないと就職ができ
ず、生活保護を受けることに。すると、今度は貯金もできない
、エアコンも買えない、とあらゆる自由を奪われた。
 県地域福祉課によると、残留孤児41人が戦後、帰国して佐
賀に住み、現在も19人が生活しているという。【山下託史】


特定非営利活動法人NGOモニティ の目的・・・資金、人材、知識、情報などを提供するネットワーク。社会問題に直面されている人たちを支え、資金、知識、人材、情報を提供し一緒に解決していく。