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旅とマクロビオティックなお氣楽Life。。。

テーブルの上に3つグラスがあるとします。


このグラスを調和させてくださいって言ったらどうしますか?


グラスを一箇所に集めますか?


グラスを一列に並べますか?


以前の私ならこうしていたでしょう。


では、


グラスを割るのはどうでしょう?


これもひとつの調和のではないでしょうか。


では


グラスをひとつはそのままに。


ひとつは東京に。


ひとつは地球の裏側、ブラジルに。


これではどうでしょうか?


なにか違和感を感じますか?


これもひとつの調和の形だと思います。


家族、友達と離れて生活している人は多いいと思います。

離れれば、連絡する頻度は減るかもしれないですが

離れたら不調和になるかと言ったら、ならないですよね。


調和=まとまっている、衝突がない、バランスがとれている、

みたいなイメージではないでしょうか。


結局は調和とは、こういうものっていう定義が頭の中にあるだけなんです。


この定義が100人みな同じかと言ったそうではない。


例えば他に例を出すと


浮気。


これも違いますよね。


話をしたら浮気、手を繋いだら浮気、一緒に食事をしたら浮気


それとも身体の関係をもったら浮気。


なかには浮気しても良いけど、バレないようにしてくれれば良い


って言う人もいますよね。


他にも自由っていうのも違いますよね。


自分の好きなことを出来る時間がある人を見て自由だなーとか。


世界中を旅している人を見て自由だなーとか


動物を見て自由だなーとかね。



他にも、お金があることとか



周りから干渉されないこと、とかね。



(もし、自由とは?

と、聞かれたら

今の私の定義は、とらわれないことでしょうか。)





他にも、人によって幸せというのも違いますし


どこで苦悩を感じるかも違いますよね。


これで分るように


言葉というのは全て観念で実体がないんです。


決まった、これ! というのがないんですね。



でも、不思議なことに


言葉とはこんなに曖昧なのに


相手の言っていることがなんとなく分る


コミュニケーションがとれるんですね。


このことは別にいいとして。



結局は全てが自分の中にあるものなんです。


それはどうやって出来たかというと


自分が生きてきた経験からなんですね。



マクロの創始者、桜沢 如一は

記憶力は判断力だと言っています。


これは私の解釈ですが


今、目の前にあるものを認識するには過去の記憶が必要なんです。


例えばテーブルの上に醤油さしがあるとします。


日本人は見ただけで、それが醤油で、それがこういう味だというのも瞬時にイメージします。


お刺身が出てきたら、迷わず使うでしょう。


本当は中にバルサミコ酢が入っているかもしれないのに。



でも、初めて日本に来て、和食も食べたことがないって人が醤油さしを見ても


何なのかさっぱり分りません。


どうやって使うかも分りません。


そして自分の経験から、こういうものなんじゃないかとイメージをします。



でも、口に入れたらそれの味がハッキリします。


味の感じ方は違うかもしれないですが


100人みんな醤油が口に入ったら、そのものの味がします


でも、過去の記憶、知性が、ああだ、こうだと言います。


りんごで例えると


このりんごは昨日食べた物よりすっぱいとか、


美味しくないとか


去年の方が甘味があり美味しかったなど。


それで、食べる前にイメージをして、過去のものと比較をして


美味しかったら、満足したり、


美味しくなかったら、がっかりしたり。



本当は口に入れたら、その味しかしないから


迷いようがないんですけどね。


同じりんごは1つとしてないんです。


これはこれの味が、それはそれの味がするんです。


比較しようがないんです。


だから、過去の記憶、知性が、今、目の前にあるものを


曇らせる事もあるんですね。



で、なんでこれを書いて、どう話を繋げていくか


よくわからなくなってきましたが、


話を調和に戻すと


前回も書きましたが、


私たちは元を辿れば1つなんです。


1つから別れて、色々な縁に触れて、今の状態、表現になっているんです。


結局、起きている事は全て、同じ世界の中の変化に過ぎないんです。


その変化の一部分を捉えては、調和だ不調和だと言っているんです。


そもそも、1つの世界の中で起こっていることなので


不調和になりようがないでしょ。


っていうのが私の感覚です。


勿論、争いのない、みんなが好きなことを出来る世界を望みますけどね。



結局は全て頭の中の妄想なんです。


嫌なことが起ころうと、良い事が起ころうと、


地球は回っているんです。


朝が来るんです。


この流れから、法則性から外れる物は何一つないんです。


道端に転がっている石も、植物も、虫も、動物も、人間も、地球も、銀河系も

幽霊も宇宙人も


悪いことをしても、良い事をしても


全て平等に同じに法則が働いているんです。


外れることってないんですね。



世界はこんなにもフラットなんです。


差がないんですね。


どんなときも、何が起きても、何をしても


この法則性が働いているっている、


外れることがないっていう


安心感。


言葉にするならば、愛だなって私は思います。



だから、何が起きても大丈夫なんです。


その瞬間は、喜怒哀楽が出てきますし


揺れたりしますけど


本当は大丈夫だっていう感覚はあります。




結局は自分の中にあるものなんです。


だから、調和も不調和ないし


自由も不自由もない


肯定も否定もない


言うなれば


調和しかないし


そもそも自由だし


肯定しかないんです。





ただ、この法則性。

自然界は秩序道理なんです。

例えば、岩は雨が降り、温度が変化すれば、その影響を受け崩れたり、砂になったりします。

ただ人間は、気候が変化しても、適応したり、抵抗もできるんです。

寒かったら、暖房をつけることも出来るし、冷房もつけることもできるんです。

ここに、人間の自由意志、口にする物の関係性出てきます。



それは次回に~。