信仰には中心とまわりがある。

わたしたちは中心のことよりも

 まわりのことに一生懸命になる。

 まわりのこととは 、バザーとか

クリスマスの祝いとかいうものである。

ところが中心である

イエスキリストによる

自分の救いはおろそかにしている。

 これが現在の

教会の姿ではないかというのである。

 中心がしっかりしていて

そこからまわりのものは生まれてくる。

 たとえ生まれてこなくても構わない 。

バザーをしないために

 金を儲けられなくても構わない 。

クリスマスの祝いが

今日のように

 派手なものでなくても構わない 。

ただ一人一人が生ける

イエスキリストとの出会いを

自分で感じることが大切である。

 

榎本保郎牧師著 新約聖書1日1章より 

 

 

世界中がコロナや戦争で疲弊している今。

日本では 平穏といえば

平穏のな生活ができている 。

 

でも 、同じ地球上で生活しているのに 

戦争で 国土が破壊されたり 

住む家もなくなって

 

 

 

 家族はバラバラになり 

生きているか死んでいるかもわからない。

 ご五体満足で生まれた 体も

怪我をして 障がい 残ることもある 。

そんな中で 今のように 派手な

クリスマス をしても大丈夫なのかな 。

 

それほど贅沢はしているとは

思えないけれども 、当然のように

クリスマスプレゼント や

ごちそうを食べて 

このクリスマスを過ごしていいのかな 。

と思っていた時に 朝 の

デボーションで神様が答えをくれました 。

 

クリスマスの中心は イエスキリストに

一人一人を つながること。

 

 イエス様は 神の子であったのに

 自分を卑しくされて

 この世に生まれになり 

十字架につけられるまで

 従順でおられたこと 

このクリスマスに

もう一度確認したいと思います。

 

主よ、憐れみたまえ❗️