わたしたちが、たまに行く単立の教会の週報の裏側には、ハイデルベルク信仰問答集が書いてあります。

礼拝の、信徒信条に換えて読んでいます。

月に一度は、使徒信条を告白しています。

 

ハイデルベルク信仰問答集

問87

それならば、感謝もせず、回心もしない生活から離れて、神に立ち帰らない者は、祝福されないのですか。

 

 決して、祝福されることはありません。

なぜなら、聖書は

 

不品行の者、偶像礼拝する者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである

 

といっています。

 

 

と、読んだ時に???

ちょっと違和感。

 

ハイデルベルク信仰問答集は、カトリックで言えばプロテスタントの改革派?のカテキズムみたいなものかな。

 

聖書に基づいて、書かれたものだろうけど、

聖書にこう書いてあります。

って書き方が何とも○○○⤵️

 

アホでヘタレなわたしが言うのも、オコガマシイですが、いくら高名な神学者?牧師?がまとめたものでも、神様でもないのに、

決して祝福されることはありません。

って、言えるのかな、こんな書き方して良いのかなと思ってしまいました。

 

聖書には、真反対の言葉も書いてあります。

 

聖書に書いてあるからとか、この本にこう書いてあるからって、全て疑う事なく受け入れるべきではありません。

 

大昔、

聖書は、お弟子さんがペンを持っていたら、自然に?聖霊によってスラスラ書かれた。

だから、神様の言葉なんですよと、若かりし日に牧師さんから教わり、

 

ふ~ん、そうなんだ。

 

と、素直に疑う事なく信じてたわたし。

                  ↑どんだけ素直?ってか、バカ❗️

 

いろんな教会に行ったからこそ、

おかしいな?とか、

そういう事だったのφ(・ω・*)フムフム...

とか、違いがわかる女?違いに気が付く女?何でもかんでも信じない女?疑い深い女?になれたような気がします。何か嫌な女⤵️

 

鵜呑みにせず、他を調べたり、自分の感性?

霊性?も大事にして信じる事も大切だと思います。

 

聖書は二千年も前、他の国で書かれ、生活環境も、言語も訳も違う。

付け加えられたり、書いた人の主観も入ってると思うので、伝えようとしてる事が完璧ではない。

 

でも、聖書の中には、慰め、励まし、祈り、叱責、ありとあらゆる、いのちのある言葉、力強い神様の 

み言葉がちりばめられています。

 

み言葉の、何を受けとるか。

受けとるためには、受け入れるこちらの心がどっちを向いているか、試されるところです。

 

 

 

主よ、憐れみたまえ‼️