「興文」の5月号に石脇慶総というカトリックの司祭が、「カトリックのドグマは変わるか」という一文の中で次のようなことを述べている。
近年、世界各地でキリスト教各教会間、特に多くのプロテスタント教会と、ローマカトリック教会との間に再合同を目指して努力する機運が強く見られるが、まことに喜ばしい。しかし、この動きが一つの教会が他の教会に対して『集団帰正』を強要するという、いわば教会的帝国主義に堕したり、あるいは逆にお互いのに自己の殻の中に閉じこもったまま表面的な、いわゆる『善隣外交』にとどまっているだけであってはならない。
これは、ともすると楽天的なエキュメニカル運動になりやすい今日の教会のあり方に対する鋭い警句である。そしてこうした生ぬるいあり方はただエキュメニカル運動だけでなく、今日のわたしたちの信仰に深く浸潤してきているのではなかろうか。
榎本保郎牧師著書より抜粋
ローマ・カトリック教会の公式見解においては、(改革派教会、バプテスト教会等といった)各種プロテスタント諸教会は、「教会」ではなく、「キリスト教共同体(ecclesial communities)」であると明記されてあります。(教皇庁教理省、2007年)
これを読んで、カトリックとプロテスタントの再合同はあり得ないと思いました。
がっくりしたわたしは、主人に
「一致なんか有り得ないよねー。だって、プロテスタントを教会として認めてないんだか ら。」と言うと、
「一致出来るよ。教理は無理でも、隣人を愛する事と、神を愛する事においてはね。
自分達だけが真理だとみんなが言えば争いが起きる。宗教戦争はその最たるもの。
誰が本当に救われてるかなんて、神様しか分からないんだから。」
これを聞いて、そういえば、ブログで質問した時のカトリックの神父様の答えが、
教会はイエスの見えない体、神秘体です。この体が分裂によって傷ついています。この傷をなおすことが、エキュメニカルです。人間の話し合いだけで合意するものではなく、双方がイエスの体と一致すること、つまり、双方とイエスが一致することを、目指しているのです。それが真の一致です。
でした。
プロテスタントの榎本牧師は
信仰の世界で一番危険なことは真理を扱うところにあると思う。
自分だけが真理を持っているとみんなが言い出せば争いが起きてきて、それが繰り返される。宗教にはそう言う事が多い。
神は絶対であるが、わたし達は相対的な存在である。そのような私たちが神の全体を知る事は出来ない。ごく一部を知らされているだけであることをわきまえていくことが大事である。
新約聖書一日一章より抜粋
抜粋が多いですが、信仰について求めていくと何かしら、本の中から教えられる事が多いです。
信仰の先輩達もいろいろなところを通されて、その軌跡を辿って行くことで、少しは神様に喜ばれる信仰が持てたら良いなぁと思います。
主よ、憐れみたまえ‼️